言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

何百何千の試み

日本洋画の黎明期から第一線にあり
花を多く画布に刻んだ女流画家・三岸節子


手元にある花の画を改めて見ると
花の生命をいったん自分に透過させ、
画布に永遠に封じ込めた凄まじいエネルギーを感じさせる。
それはまさに「私じしんのみた、感じた、表現した、私の分身の花」。


抽象も具象も超越した「花の実体」は
日々欠かしたことのない、
デッサンの積み重ねから搾り出されたものに違いない。


常住座臥デッサンを怠ってはいけない。
デッサンはものの形を
模するものではなく、
自然の形をひきだし記憶する手段である。
形態の発見である。    
             『美神の翼』


生涯自信のもてる一枚の花を描きたいのです。
その一枚のために
何百枚、何千枚の試みが必要となります。
             『花より花らしく』


貧しい画家として生涯を終えた叔父も
「具象をきちんと描けない人が、安易に抽象を描くべきではありません」
とよく言っていた。

何百何千もの試みを経てもなお
生みの苦しみがあるとしたら、
天才など一人もいないということと、救われもする。


絶望も隠せない。到達点などないから。
何ごとも基本への回帰、その繰り返し。

 

 

 

※みぎしせつこ
1905 年愛知県生まれ。16歳で上京、洋画家の岡田三郎助に師事。
女子美術学校(現在の女子美術大学)の2年に編入し首席で卒業。
在学中に出会った画家・三岸好太郎と19歳で結婚。
29歳で死別。以後、60年余の画業と女性画壇の地位向上に努める。
1999年4月18日未明、死去。
三岸好太郎美術館(当時)は、札幌で勤めた会社の並びにあった。