言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

子どもの目線

本棚に、1冊の詩集がある。昭和30年代、日本のチベットと称された岩手県北上山系の山間に暮らした子どもたちの詩である。

 

時折開いてみては、子どもの目線に感心しながら読み返してしまう。何度読んでも、何年たっても、飽きることがない。


=しんでしまった牛=

わたしのうちに
牛が七とうもいたのに
かわいそうに 1とう
しんでしまいました

牛の子をなせないで(生めないで)
おなかをやんで
しんでしまいました

ときどき
「やさしい牛だったのになあ」
とかんがえながら
わたしはないています

お母さんと しずかに
「ねえ、やさしい牛がしんじまったね」
といって二人でないています


小2の女の子の詩。
電気もガスもない山村の家で、家族と家畜が寄り添いながら暮らしている。

 

子どもは、家族同然だった一つの生命が失われたことを受け止め「ないています」と自らの心象を最小限の言葉で綴る。


牛を愛したわが子の気持ちに共感しながら、傍らで「しずかに」泣いている母親がいる。母親は励ましたり、助言したりすることはなく、子どもの言葉、気持ちを抱きしめる。


子どもはそんな母親と「二人」であることに救済される。きっと、明日からも希望を抱いて生きていく。
哀しい詩にもかかわらず光を感じるのは、見えないけれど強固な絆で、家族がこの子を支えているからだろう。

 


難しい言葉を使わずとも、無垢な目線、内奥から湧き出た言葉が、読む者の心を揺さぶる。寄り添うことだけでわが子の気持ちを受け止めようとする母親のやさしさがゆらゆらと立ち上る。工業製品を生産するかのように文字を書き続ける私たちには、眩しいだけでなく「痛い」。


ピカソは子どもの頃から、どんな大人よりも上手に絵が描けたという。しかし、子どものように描くために、その一生を費やした。


大人になりたくてしかたがなかった時代があった。なにになりたかったのだろう。なにがほしかったのだろう。進歩とか成長とか幸福の意味を、誰も教えてくれなかった。

 

学ぼうとしなかった。