言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

秘密

〇日 季刊誌、校了。原稿入りが遅れたが、10日間で校了まで漕ぎ付けた。クライアントへの校正は3回、デザイン担当のA子さんとの内校は6回。忙しいのはごめんだが、忙しいと頭の中がすっきり片付いていく。忙しいことは、脳内麻薬の一種なんじゃないか。

 

〇日 タイヤ交換。精算時に「このタイヤ、この冬は危ないです」。4シーズンも乗ったんだ。溝の減りはそれほどでもないが、経年変化で硬くなっている。注文して、帰宅。冬が、来る。

 

〇日 NTTのフレッツ、プロバイダなどを整理し、通信環境を楽天モバイルのデザリング1本に切り替え、半年近く。ネットも通話も使い放題で2980円(税別)なので、毎月の通信コストは60%減以上になった。不具合があったら、すぐに元に戻そうと思っていたが、アップロード、ダウンロードも問題はない。大量の画像データの送受信もでき、テレビでYouTubeも楽しめる。テレビにはアンプとスピーカーをつないでいるので、夜はテレビを消し、好きな音楽を聴くことが多くなった。一時期、少しの「間」もないテレビに嫌気がさして、ラジオを静かに聴いていたが、最近はそのラジオもうるさく感じてしまう。「間」の理解できないことを「間ヌケ」という。好きなとき、好きな人の、好きな言葉、音楽を、少しだけ、受け取る時間がいい。

 

〇日 NHK Eテレ「こころの時代 オモニの島 わたしの故郷~映画監督・ヤンヨンヒ」再放送。「私は北朝鮮も総連もタブーにしない。私は“腫れ物”じゃないことを人生をかけて伝えてきた」と語るヤンさんの、家族と国家に向き合う姿が凛々しい。「私のことを腫れ物みたいに扱わなかったのは、あなただけだった」と言い残して夭折したB子さんに重ねながらの、1時間。あのとき、彼女の逆鱗にふれるのを覚悟で「都合のいいときだけ〝民族〟を使うな」と言い放った私は、彼女に対して誠実だったろうか。そういえば、在日の友人たちに、しばらく会っていない。

 

〇日 フォーラムで「秘密の森の、その向こう」。観客は10人もいなかった。隣の「コナン」はほぼ満席みたい。

8歳のネリーは両親と共に、森の中にぽつんと佇む祖母の家を訪れる。大好きなおばあちゃんが亡くなったので、母が少女時代を過ごしたこの家を、片付けることになったのだ。だが、何を見ても思い出に胸をしめつけられる母は、何も言わずに一人でどこかへ出て行ってしまう。残されたネリーは、かつて母が遊んだ森を探索するうちに、自分と同じ年の少女と出会う。母の名前「マリオン」を名乗る彼女の家に招かれると、そこは“おばあちゃんの家”だった――(公式HPより)

時空を超え、森の小道を抜けて二つの家を往来する少女の世界が、喪失という痛みを抱えた娘・母・祖母の3世代を癒しへと導く。

私たちは、物語(のほんの一部でも)を共有することで初めてつながることができる、というメッセージとしても受け取れる。

 

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「秘密の森の、その向こう」(フランス) 監督/脚本/衣装:セリーヌ・シアマ