言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

高木恭造とやなせたかし

古書店に行くのが好きです。全国チェーンの大型店から、街角の、開いているのか閉まっているのか分からないような個人経営のお店まで、近くを通るとふらっと身体を引き寄せられ、店の中をぐるぐる見て回るのです。ただし、長居は好きではなく、10分で棚に手が伸びなければ、何も買わずに、店を出ることにしています。

 

本よりも、本が並んでいる空間が好きなのがいちばんの理由ですが、目的を自分なりに分析すると、3つの理由がありそうです。

 

一つ目はその日、読みたい本との出合いを期待して。二つ目は、作家や内容ではなく、装丁のサンプルとなりそうな本を探す。三つ目は、どんな人がどんな本を立ち読みしているのかを観察する。

 

とはいえ、これらを目的としてわざわざ出掛けるというのではなく、お店に入ってしまったら、無意識にこれらのことをしてしまっている、というほうが正しいと思います。

 

先日は、いつものようにふらっと入った(大型)古書店で、大きな発見がありました。自分の中で宝物のように大事にしてきた「方言詩集 まるめろ」(高木恭造 津軽書房)が店に入って、わずか1分ほどで目に留まったのです。

 

私の持っているのは昭和48年(1973)の初版本ですが、ここで出合ったのは昭和51年(1976)の新装版。初版本と同じく、本の後ろの袋とじにソノシートがついています。

 

私の本は表紙もなかみもいかにも古いのですが、とても47年前の本とは見えないほど汚れもヨレもありません。価格は200円+税。他には目もくれず、この1冊だけを購入して、すぐに帰宅しました。

 

大きな声ではいえませんが、数年たって初版本がもっと古くなり、そんなときに今回の本を発見したとしたら、5万円払ってでも、入手したかもしれません。

 

左が古書店で購入できた昭和51年発行の「方言詩集 まるめろ 高木恭造」新装版(津軽書房)。右が昔、苦労して入手した初版本。表紙はやけて、紙もぼろぼろでした。

 

巻末には詩人の朗読を収録したソノシート付き。

 

 

作者の高木恭造さんは、明治36年(1903)、青森市の生まれで、長らく弘前市で眼科医であり、詩人としても活動した人です。「方言詩集 まるめろ」の初版は昭和6年(1931)ですが、手元にある初版本は「津軽書房」発行の初版ということになるかと思われます。

 

高木恭造さんを知ったのは「詩とメルヘン」という雑誌でした

 

発行はサンリオ、編集長はやなせたかしさん。1973年5月に創刊され、2003年8月に休刊した文芸誌ですが、成人してからも、新刊はもちろん中古本を集め、一時は50冊ほど本棚にありました。

 

手元にある1974年1月発行の「詩とメルヘン 第6号」に掲載された「風ネ逆らる旗」と「石コ」「すかんこの花」の3編の詩で、高木恭造さんのことを教えていただいたのです。やなせさんは、創刊時からこの詩人に注目し、第2号でも作品を紹介していました(第2号はあとになって入手しました)。

 

 

「詩とメルヘン 第6号」(1974.1)には高木恭造さんの詩が3編。写真は「石コ」と「すかんこの花」。やなせさんご自身が挿画を描いています。

 

 

すかんこの花

 

何アどンだどもなく かちやくちやネのセ

別ネ生きてぐね訳でねんども

桜の花コア散てまてこの曇(ドンヨラ)とした空

ただ こたら時ア 死んでもいいど思るンだネ

路傍(ケドバタ)のすかんこバふむツて噛れば

埃(ゴミ)かぷてもあンヅましぐ咲いでるすかんこの花

 

 

 

 

「詩とメルヘン」には毎回、表2(表紙をめくって最初のページ)に「編集前記」が載っています。

 

「…さして才能もない漫画家が、十歳から九十歳までの人のための絵本形式の本などひとりがてんの編集をしている本です」という文章がありますが、やなせさんは、この時代、報酬なしで、埋もれた童話や詩、絵画やイラストなどを発掘・掲載し、その後、多くのクリエーターを世に出すきっかけをつくり続けてきました。矢沢宰をはじめ、八木重吉などを教えてくれたのも、この本、つまり、やなせさんだったのです。

 

やなせさんといえば「アンパンマン」が思い浮かびますが、アンパンマンのデビュー前には、売れない時代、いわゆる食えない時代もあったはずです。そんな雌伏の時代を経てきたからこそ、常に誰かの心にしみていくような作品を発掘し、私たちに届けてくださったのだと思っています。