言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

生き延ぶるわざ

〇日

誰かが読むと分かっている以上、

どうしても、カッコをつけたくなってしまうのが人情。

少しでも、上手に思ってもらえる文章を書くつもりで書き始めると

途端に気重になって、今日は休もうかと考えてしまう。

この繰り返し。

過去の記事を整理するという

大きな目的があるので、あと何か月かは、がんばる。

 

意識と無意識は

常に意地悪く異なる方向を向いている。

それは人間の耳が

沈黙と無限の音を聴き分けるためにあるのと

同じことなのだろう。

 

両眼。両手。両足。

右脳と左脳。

男と女。遊びと仕事。緩と急。

光と陰。

 

常に「一対」を抱える宿命にある人間の歓びと苦悩は、

創造のためにだけある──と信じたいけれど。

 

 

〇日

肌のトラブル。

春から夏はあせも、秋から冬は乾燥肌。

年をとるにしたがって、なぜか肌だけは敏感になり、

この季節は顔、首筋の痒みがひどい。

 

近くのドラッグストアに行った。

薬剤師のお姉さんに「痒いんです」と相談すると

赤ちゃんにも使えるという軟膏にかゆみ止めの錠剤、

南フランス生まれという温泉水をすすめられ

言われるがままに「はい。はい」とカゴに突っ込み、買ってきた。

不二家のルックチョコ、ロッテのラミーチョコも

安売りしてたので、5つずつ買った。

 

「チョコお好きなんですか」とお姉さん。

「はい」

「お酒も飲まれるのですか」

「いえ、あまり。いや、少し。いえ、ほどほどです」

「甘い物とアルコールも痒いのによくありませんよ」

「はい」

 

レジの前。

直立不動のまま、かるーく、人生を否定される

この感覚は何だろう。あながち、嫌でもない。

病院に行っても、医者に向かって

注射をするなとか、そんな薬いりませんとか、

抵抗するのに、このお店のお姉さんには逆らえない。

逆らわない。

 

 

〇日

仕事に行き詰ると、片付けをする。

本を置き換えたり、パソコンや照明の位置を変えたり、

不要な本をまとめたりと、そんな程度のこと。

パラパラと本をめくりながらなので、

本の整理は進まない。

 

たまたま開いた本に

徒然草の一文があったのでメモ帳に書き留めた。

 

 

すべて、何も皆、

事のとゝのほりたるは、あしき事なり。

し残したるをさて打ち置きたるは、

面白く、生き延ぶるわざなり。

「内裏造らるゝにも、必ず、作り果てぬ所を残す事なり」と、

或人申し侍りしなり。

先賢の作れる内外の文にも、

章段の欠けたる事のみこそ侍れ。 (徒然草 第八十二段)

 

 

何事においても、

すべて完全に整っているなんて、いいこととは限らない。

やり残したことを、そのまま放置しておくのも

面白く、将来につながっていくこともある。

「内裏を造営する時も、必ず未完の部分を残しておくものだ」と

ある人が言った。

先人の賢い人たちの書物にも

章や段の欠けたものが意外と多いものだよ。

 

────というような意味か。

中途半端も「生き延ぶるわざ」という。

せっせと無駄=「間」を省いてばかりを「間抜け」というのと同じ。

 

本日から、座右の銘とする。この時点で、整理整頓も、中止。