言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

Sauve qui peut.

夕刻、建築家のAさんとお会いする。

3年ぶりの再会。

今回も、長い時間、お話をうかがった。

 

何年か前のことである。

深夜の別れ際。

Aさんは、握手の手を差し出しながら

「Sauve qui peut」と呟いた。

仏語で「そーう゛・き・ぷ」と発音するのだそうだ。

 

船が遭難した際、

指揮官に当たる船長が宣言する

「各自独力で避難せよ」という緊急避難指令のことで

「生き延びよ!」の意味がある。

 

「苦しい時期も、まずは生き延びること。

 そして、互いの役割を果たしていこう」

Aさんは、そういい残して

ホテルのエントランスに入っていった。

 

 

〇日

月夜が続いた。

星々のきらめきさえ消されるような

明るさで庭を照らし

青のベールを幾重にも重ねて闇を照らす。

こんな静謐な光を

紙やフィルムに再現できる芸術家は

おそらくは、この世にいない。

 

寒いけれど、少しの時間、窓を開けて空を仰ぐ。

どこからかラジオの音。

耳を澄ますと、NHKの「ラジオ深夜便」だ。

 

こんな時間なのに音が外に響いてくるのは

耳の遠いお年寄りの世帯だろうか。

 

 

認知症の母を引き取り、

1年間ほど、同居したことがあった。

8年前のことであった。

 

深夜。

階下の部屋で眠る母親の寝返りの音、

寝息さえも気になって、

何カ月も、眠れぬ夜が続いた。

 

そんな時間がつらくて

ラジオ深夜便」を聴くようになった。

片方の耳は聞こえるように、イヤホンを使った。

 

母はやがて施設に入居し、7年の歳月が過ぎた。

今年1月、施設で転倒し骨折。

救急搬送され、その後、施設の退去、転院を経るが

意識が混濁したまま今日に至っている。

 

かすかに聴こえる「ラジオ深夜便」は、

過去の、そんな時間を呼び覚ます。

番組は素晴らしい内容ばかりだったが

自分の中では、いまだ

深夜のラジオに向かう時間は、つらいものでしかない。

 

誰一人、孤独に哀しむことのないように。

月光がつくる淡い木陰に記憶を重ねつつ、祈る。