言葉と記憶の小径。

A Pathway of Words and Memory.

物語のちから。

早めの朝食を終え、仕事を始める前の小一時間、本を読む。以前は気が向くときにだけ読んでいた。この春からの新しい日課

 

気になった文章は2Bの鉛筆で線を引く。すごい話だなあ、上手な表現だなあと思った部分が多いときにはページの端を折る。これは、昔からの習慣。

 

夕刻、お風呂でも本を読む。湯船にポチャンと落とすこともある。再読を繰り返すので、線も折りも増えていく。だから、本は全てボロ雑巾みたいになってしまう。

 

何度か目を読み終えると、線を引いたり、端を折ったページの文章をノートに書き写す。書くのは速いが、数日たつと判読できる文字は3割ほどしかない。自分で嫌になるほど、字が下手。あとの7割は、毛虫や糸くずみたいに見えて、イライラする。手書きに徹することで自分の無意識に刻み込むのだ、という勝手な思い込みだけで続けている。

 

人生で体験できる物語の数は限られるが、読書は本の数だけ誰かの物語を疑似体験できる。あのときの出会いはこんな意味があったのかと、自分の記憶を追体験することもある。

 

本を読むと賢い人になれるというのは、たぶん、うそだ。世界には、私の数百倍読書をした人でも、子どもがたくさん暮らす村と知っていながらミサイルを撃ち込むような人がわんさといる。どんな読書家でも、隣人を傷つけてばかりいるような人は、何のために、と考えてしまう。読書の量と教養や人格は、話し合いが不要なほど比例はしない。

 

 

アウシュビッツを生きのびた精神科医ヴィクトール・フランクルは「夜と霧」の中で収容所の過酷な環境で囚人たちが何に絶望し、何に希望を見いだしたかを克明に記録している。

 

ガス室に入れられても、運命に毅然と立ち向かう人。死を間近に感じざるを得ない日常で音楽を楽しみ、祈り、美しい夕焼けに感動する人。全てを奪われてもなお「世界はどうしてこんなに美しいのだろう」と物語を創造する自由は、誰も奪うことはできなかった。

 

フランクルは人間に「創造する喜び」が備わっていることに気づく。創造とは、現実から別の世界への通路や媒介としての物語の創造でもある。

 

昭和30年代「日本のチベット」と呼ばれた東北・北上山系の分校で学ぶ小学生3年生の詩がメモに残っている。

 

空のほしはいつも光っている 

ぼくがほしを見ていると 

空へあがっていきたくなる 

ねえさんはいつも 

きれいだなあとほしを見ている 

ぼくはあのほしを一つほしい 

もしおちてきたら 

ぼくはひろって先生に見せたい

 

最初から物語があったのではないはず。家族や先生など周囲の大人たちが、この子の中で育まれる物語の存在を信じ、この子の未来を願うやさしさを持っていた。紡がれた物語は、知識や情報とはまた別の部屋に格納され、内面と深く結びつきながら、生涯、この子の人生を支えていくだろう。

 

 

私たちは今、アウシュビッツとはほど遠いものの、生きのびるという言葉がふさわしいほど過酷な時代を生きている。ネットを使えば瞬時に数百数千の回答を得ることができ、SNSで24時間誰かとつながりながらも、常に取り残されるような不安を感じてしまう。

 

望んでいるのは、正しさや思想、スローガンではなく、身体と精神、現実と夢や願いと折り合いをつけることのできる媒体としての物語ではなかろうか。

 

フランクルは残酷な日常の中で「それでも人生にイエスと言う」と書いた。分校の子どもは、貧しい暮らしにもかかわらず、お金ではなく星に憧れた。その星を独り占めにはせず、先生にも見せたいとさえ願った。

 

幸福を感じられるかどうかは、折々での運命への向き合い方、物語を創るちからの有無で決まることがある。ささやかな物語が、生き直すためのツールとなり、未来への海図となってくれることがあるのかもしれない。

 

星の成分は水素やヘリウムといわれるが、あの日天国に旅立ったあの人が、この星空のどこかにきっといる。そんな物語を空に描いてみるだけで、今日も一日、がんばってみようと思えてくる。