言葉と記憶の小径。

A Pathway of Words and Memory.

ゴミの間から見えるもの。

ぽかっと空いた時間、何かに取りつかれたかのように、いきなり事務所の掃除を始める。整理や掃除はいつもこんなふうに、始まる。

 

案の定、捨てるモノがたくさん出てきた。ほとんどが、古い資料である。そのときに必要な資料なので、そのときが過ぎれば、不要となる。なのに、なぜかとっておく。悪い癖だ。

 

紙、紙、紙。本、本、本。がらくたと化したプラスチックのモノ。いつか、お世話になっているコピー機会社の営業の人が、弊社は100%ペーパーレスをめざしていますと自慢していたが、この仕事、少なくとも、自分が生きている間はこのままだと思う。

 

事業ゴミ専門の業者さんに運んで、燃えるゴミを廃棄。クルマに積んだまま計量し、帰りに廃棄したものを差し引いて計量する。50キロ弱。これが、ここ数か月の仕事の残骸だ。燃えないゴミはリサイクルセンターに持ち込む。こちらは少量だったので無料。燃やすことが難しいものこそ、高い料金をとるべきじゃないか。ここに来るたびに思う。

 

 

農民詩人のAさんに会うために、山形県B市のご自宅を訪ねたことがあった。ずっと話を聞いてみたい人だった。山形新幹線がまだ開通する前で、自分の生活も貧しさのただ中にあった。鈍行列車を乗り継ぎ、半日以上もかかってB市にたどり着いたことを覚えている。

 

Aさんは定時制高校を卒業して農業に従事。しかし、農業での自活は難しく、農閑期には関東の農家や工事現場への出稼ぎをした。

 

1971年、コメ減反政策推進を機に廃棄物処理業との兼業農家に転身。私が伺ったとき「自分はただのゴミ屋です」と恥ずかしそうに微笑んで迎えてくれた。

 

すでにむらは 無い

貌の中からむらは失われた

むらが村であってもいい

むらがムラであったとしても

たとえ(街)の様相を呈していたとしても

人びとだけが生きておれば――

(略)

ふるさとは

発つべき地点でも

帰るべき原郷でも無く

ひたすら己の生存の領域であることを

君たち

若者だけは

知っていると信じながら

俺は

なおも彷徨いつづける

 

きびしい文明批評の背後には、隣人や大地、言葉、農業、郷土への愛があった。鋭い言葉の配列は、けれどもあたたかい、初春の土のような感触を醸している。久々に、Aさんからいただいた詩集や書籍に目を通して感じたことである。1万4000字もの「続・ゴミ屋の記」は、こんなふうに終わっている。

 

(中略)

資源を減らし、物を捨て、エネルギーを傲慢なほど使い、かつそれを処分するためにまたぼう大な金をつぎ込む。国民は自ら二重の負担を強いていることになる。一方、いくら金をかけても使い捨てた廃棄物が完全に処理され、無害化され、公害のない自然体に戻されるのであればまだ許される。が、そんなことは不可能であり、絶対にあり得ない。物質不滅の原則は変わらず、有害物質は年とともに蓄積され、それらは自然界を侵し、かつ人間生活をさらにおびやかすといった悪循環体系は、エスカレートするばかりである。

 

整理整頓の「整」は「整える」、「頓」は「置く」を意味し『史記』や『漢書』では「物を整えて置く」という意味で使われた。片付け、整えたつもりのモノはゴミと化し、大気や土や水に溶け始め、プラスチックや核廃棄物は反対に、半永久的に溶けることはない。結局、全然、整ってなんかいない。

 

捨てたはずのゴミの山は、目の前から違う場所へと移動しただけ。いつかは巡り巡って自分に還る。私たちを取り巻く環境はゆたかになったのではなく、むしろAさんとお会いした30数年前より悪化していることに気付かされる。最後はこんなふうに結ばれている。

 

ゴミの間から見える精神の貧しさ。

──それは自死に至る決定的な貧しさでもある。