言葉と記憶の小径。

A Pathway of Words and Memory.

そば屋のおじさん。

白い暖簾をくぐって、少しがたついた木戸を開け、店に入る。
食事時の少し前なのか、客は一人もいない。
「おばさん」
店の奥の厨房に声をかけてみた。
返事がない。
「おばさん」と今度は少し大きな声で呼んでみる。

ちょっと間をおいて、
暗い厨房からのっそり出てきたおばさんは
照れ隠しみたいに
いきなり布巾を手にしてカウンターをすっと拭き始め
そのカウンターに向かって
「暑いですね。お好きな席にどうぞ」と話しかけている。
「お・ば・さ・ん」
おばさんはそのとき初めて顔を上げて
「あらっ」

 

おじさんが亡くなって何年になるだろう。
手打ちそばの名人で、県内にあるA町のそば粉しか使わず
タレについては化学調味料は一切使わない。
地元のそば粉にこだわり、化学調味料を使わないのも
自然食とか地産地消じゃないとだめだとか、エコとか、なんだかとか
そんなことではなく
「うまくねーからに決まっているべ」が、口癖だった。

 

初めて電話で取材を申し込んだときには、
「直接顔を見てお願いするのが、礼儀ってもんじゃないのか」
と大声で怒鳴られた。
直接店に行ってみると、そば打ちの真っ最中。
「こんな時間に来るんじゃねえ、このバカヤロー」と怒鳴られた。
そのままカウンターの端っこに腰掛けて
おじさんの手が空くのを一時間待って、話を聴き始めたのだった。

 

話を聴いて30分もたったころだ。
「これからそば畑まで行ってみるか」
といきなり腰を上げ、作務衣姿にサンダル履きのまま「クルマを出せ」。
そうして
店から1時間も離れたそば畑まで案内してくれた。
おじさんとの出会いの日であった。

 

それから何度も怒鳴られた。
ある日いきなり電話が来て、
「何でそば食いに来ねーんだ、バカヤロー」と怒鳴られ
その数日後、店に行くと
ニコニコ顔で、打ちたてのそばや「そばがき」を
たくさんご馳走してくれた。
帰り際には、家族の分だけ打ちたてのそばを持たせてくれた。
「こんなことされると、来られなくなります」
というぼくに向かって
「おまえ、人の親切、受けられねーっていうのか」と怒鳴られた。

 

それから数年、県外からお客が来るたび
おじさんの店でそばを振る舞い、おじさんはその都度、
私の撮った写真をA全のパネルにしたものを
お客に見せては自慢した。
山形から来たそば通の知人を連れていったときには
「日本で5本の指に入るそば屋」とおじさんの前で激賞したが
おじさんは「何だ、5本か」といったきりだった。
そして帰り際にはまた
「また、ちゃんと食いに来いよ」と怒鳴られた。
おばさんはおじさんの陰でいつも、
ごめん、ごめんといった仕草でこちらに向かって頭を下げた。

 

おばさんは、春に会ったときからまた一回り小さくなって
店のなかも少し乱雑になっていた。
「あっちこっちでケンカばっかり。そば組合とも揉めてさあ」
おばさんは懐かしそうに、おじさんの昔話をしてくれた。

 

帰り際、「仏壇に」とおばさんに菓子折を預けた。
「ね、ね、食べてきなよ」と
おばさんは声をかけてくれたが、近くで待ち合わせがあった。

 

「ありがとうね」

寂しげな声を背中で聴いて、店を出た。

にくらしいくらい、暑くて蒸した日だった。