言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

「これまで」と「これから」。

これまで3人の韓国人と2人の中国人を我が家で迎え入れたことがあった。


一人目の韓国からの客人が帰国したあとのことだ。
その後一通の手紙もなく、少し寂しい思いをした。
翌年訪れた二人目の韓国人の客人に
それとなく心中を話すと、彼女はこういった。

「日本人は世話になった人に恩を返す。
韓国人は、受けた恩を他人に還元していく。
私たちは決して、あなたたちの恩を忘れることはない」


このとき初めて、韓国の人たちとの思考回路の違いを知った。

 

中国人の女性は戦争の話になって

「過去を忘れた者は未来から復讐される」

という言葉を遺していった。

終戦記念日

確かに、日本人が自分たちの悲劇を語ることはあっても

他者に与えた悲劇が語られる場面を、あまり見かけない。

 


西洋人から見ると、日本人も韓国人も中国人も
同じように見えるという。
しかし、食文化はいうまでもなく、
生活様式も思考回路もまさに似て非なるもの。
違いを認識し合えば「ああ、そうなんだ」で済むことが
黙っていると、憶測が憶測を呼び、
やがては大きな不信感に発展してしまうことがある。

 


盛岡冷麺が有名だが、朝鮮半島等では
こんな食べ物は存在しない。
「なぜ、本物の冷麺(ネンミョン)で勝負しないのか」
ある焼き肉屋さんの在日二世に、尋ねたことがあった。
「日本人の味覚に合わせたものじゃないと、受け入れられない」
が答えだった。


味音痴の私でさえ、本場のネンミョンが
美味なことを知っている。
「あなた方の食べている冷麺とは、どんなものですか」という
疑問すら持てない日本人の多いことは残念なことだ。

 


テレビの討論番組をぼんやりと眺めていた。
ジャーナリストや学者、学生、
インテリ風の参加者たちの「知識」のひけらかし合いばかりが目立った。
歴史認識の相違で、これ見よがしのデータが飛び交っている。
後半で一人の韓国の若者がこういった。
「この番組は『これまで』ばかり。大切なのは『これから』でしょう」


「あなたという人(国)を、もっと教えて」
「あなたの(国)ことを、もっと聞かせて」


頑なな主義主張より、相手を「聞く」姿勢があるかどうか。
和解や平和の礎とは
そんじゃそこらの人と人との関係における

礼儀やたしなみと大差はないと、思っている。