言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

ゴミ拾いのおじいさんと雑種の犬。

毎夕、雑種の犬を連れて散歩をしているおじいさんがいる。おじいさんはいつも片手に大きめのレジ袋を持って町内をぐるりと回る。袋のなかには、空き缶やペットボトルなどのゴミ。おじいさんのエコバッグだ。

 

ゴミを拾う理由を、聞いたことがあった。「1周3キロ。ゴミ拾いのための散歩ではなく、散歩のついでにゴミを拾っているだけ」。おじいさんは、銭湯に行くときみたいなのんきな顔で、そういった。

 

おじいさんの顔はしわだらけだ。けれど、いつも鼻歌を歌って、ごきげんな顔をしている。おじいさんがごきげんだから、雑種の犬もごきげんで、スタスタ歩いて、おじいさんを力強く引っ張っていく。

 

腰をかがめて道端のゴミを拾う間、雑種の犬は傍らに座り込んで、おじいさんのしぐさをじっと見つめている。この場面、いい写真になりそうだなあと、うっとりしながら眺めてしまう。

 

おじいさんはゴミをレジ袋に入れると、また雑種の犬に引かれて歩き出す。夏も冬も、雨の日も風の日も。毎日、毎日。スタスタ、スタスタ。

 

おじいさんも雑種の犬も、何年か前と比べると少し老いてはきたが、幸せそうな表情は変わっていない。どんなときも、長く続いた雨のあと、偶然、虹を見つけたときのようないい顔をしているのは、どうしてなんだろう。

 

おじいさんは、家でどんなお茶を飲んでいるのかしら。奥さまは、どんな人かな。お子さんは、何人、どんな顔? お孫さん、一緒に暮らしているのかな。おじいさんと雑種の犬とすれ違うたび、いろんなことを考える。おじいさんのそばにいる人は幸せだろうなと、勝手に考えてしまう。

 

おじいさんは「ただの、もと・勤め人だった」という。誰にも褒められず、注目もされず、少しも目立たず。今日もきっと、おじいさんと雑種の犬は、淡々と、ゴミを拾いながら歩いている。

 

幸せは目に見えない。だから、人は必死でモノを得て、幸せになろうとする。おじいさんは人が捨てたモノを拾って、幸せな顔をしている。そういうおじいさんに、私はなりたい。