言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

音。

近くに中学校がある。以前は、授業の前後のチャイムの音や生徒たちの声が聞こえていたが、最近、聞かなくなった。

 

近所の人の話では、子どもたちの声がうるさいと、中学校に苦情が寄せられたという。そんなあ、といった気持ちで聞いていたが、除夜の鐘も騒音だという苦情が急増し、鐘を突くのを止める寺院も少なくないそうだ。

 

確かに、日常はあらゆる音であふれている。テレビもラジオも、誰かがずっとしゃべっている。アナウンスもBGMもなしで、1時間、ずっとカエルの鳴き声だけの番組なんてない。街を歩けば商店街から発せられる大音量の音に包まれ、電車に乗れば日本語、英語、中国語が矢継ぎ早に放たれる。モノレール羽田空港線のアナウンスは、日英中韓の4カ国語だった。

 

家の中の音も変わってきた。昭和の朝の音は、トントントンという、小気味のいいまな板の音だった。洋裁をしていた母の使う包丁は、鋏と同じく恐ろしいほど鋭く研ぎ上げられ、少しふれるだけで、子どもの指などちょんぎれそうだった。その包丁が分厚いまな板にふれるときの音は、台所から寝室の床まで伝わり、毎朝、子どもの私たちに心地よい目覚めを与えてくれた。

 

いまは、テレビの料理番組を見ていても、包丁はホームセンターで購入したような万能包丁で、まな板も板とは名ばかりで、プラスチック製を平気で使っている。キャベツを刻む音も、トントントンではなく、ダッダッダッと聞こえて、色気がない。加えて、電子レンジのチンとかピー。音のみならず、朝の匂いも炊き立てのご飯やみそ汁、焼き魚などではなく、コーヒーやバター、目玉焼きを焼くような匂いが多くなった。

 

向田邦子の「夜中の薔薇」(講談社文庫)に「刻む音」という文章があった。

朝、目を覚ますと台所の方から必ず音が聞こえてきた。母が朝のおみおつけの実を刻んでいる音である。実は大根の千六本であったり、葱のみじんであったりしたが、包丁の響きはいつもリズミカルであった。目を覚ますと音が聞こえたと書いたが、この音で目が覚めたのかもしれなかった。

 

子育て世代の家では、子どもたちの声が朝から響き渡るが、子どもが成長するに従い、親子間での会話も少なくなる。子どもの独立後は、残された夫婦で交わす会話も途切れがち。その沈黙を埋めるかのように、テレビの音だけが家のなかで鳴り響く。連れ合いが旅立ち、独居になると、小さな音でも、自分に跳ね返ってくる。その音と会話をするかのように、独り言が増えていくのかもしれない。

 

瀬戸内寂聴さんが、知人から聞いたというインドのホスピスについて書いた一文があった。枯れ木のようにやせ細り、ベッドに横たわった老人の枕元で、幼い少女が坪に入れた水をかき回している。何をしているのかと尋ねると、遠い昔、貧しい田舎で育った老人が「水の音を聞きたいと言うので、考えて、水の音を聞かせているの」と話した、そんな内容だった。この話を思い出すたび、自分ははたして、自身が放つ音に対して誠実に暮らしているか、と考えてしまう。