言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

弱さ、脆さ、強さ。

〇日

カミさんは、1週間の出張。ネコの「ハルちゃん」と留守番。家事全般は嫌いではないので、不便はない。

05時起床。毎朝、寝室から出たところでお行儀よく座って待っている「ハルちゃん」に餌と水。保護ネコのくせして、動作のすべてに品がある。神棚、仏壇には水やお茶、花。お湯を沸かし、洗顔をしたあとで洗濯機を回す。電気料金は08時-22時までが割安な料金体系なので、08時までに家電の大半を稼働させる。

少し落ち着いたら、朝食。ここ数年、しょうが紅茶(紅茶にしょうがを小さじ半分ほどおろしたものを入れるだけ。気分で黒砂糖かハチミツを加える)1杯か、みそ汁1杯。夕食はたっぷりいただくので、朝はこんなんでちょうどよい。コーヒーはいつも淹れている。

今朝のみそ汁は、冷蔵庫に残っていたピーマン、シメジ、ネギ、ニンジン、ホウレンソウ(冷凍)の具だくさん。おわん1杯の水と煮干し1尾を鍋に入れ、おわん1杯によそった具材を鍋に入れて煮込み、みそを溶く。みそは大さじ1強だが、2割くらいが八丁みそ。味がいいとか悪いとかではなく、以前、八丁みその本社工場(愛知県岡崎市)を案内していただいたことがあって、丁寧な工程に逐一感動をし、以来、常備するようになった。できあがったみそ汁には、しょうがをおろした。

今日は燃えるゴミの日。生ゴミ、ネコのトイレ、紙ゴミなどをまとめてゴミ置き場に持っていく。6時を少し回ったくらいなのに、ウオーキングをしている人がかなりいる。健康な身体は維持したいが、朝や夕のウオーキングって、生涯、きっと、ない。

 

 

〇日

2日間で西村賢太さんの本を一気に5冊(うち「苦役列車のみ再再読」)。亡くなってまだ2年。呼び捨てはできずにいる。

1967年東京生まれ。中学卒業後、主に肉体労働で生計を立てるが、大正から昭和にかけて私小説を書いた作家・藤澤清造の作品に出合ったことをきっかけに執筆活動を開始。ご本人も私小説に徹してきた。

過酷な労働と貧しい日常、ひたすらに破滅に向かうだけの生活。愛に飢えながら、家族や周囲の人間を追い詰め、傷つけてしまう主人公の姿が、自分の奥底でじくじくと寝息をたてる影と重なり、揺さぶりをかけてくる。しかし、そうした原初的な闇の部分が読後、自分の居住まいを正す力を有していることに気付くのだ。

物語の多くに出てくる東京湾に点在する倉庫群は、私自身が学生時代、バイトで通った場所でもあった。

早朝、桜木町の駅前でヤクザまがいの仕事人にマイクロバスに乗せられ、羽田や平和島、あるいは横浜のふ頭にある倉庫まで運ばれる。薄暗く不気味なまでに音のない巨大な倉庫の片隅で、青白い顔をした何人ものおじさん、おばさんたちと共に、終日、荷物の仕分けをしたり、冷凍食品の箱やレントゲンのフィルムを、リフトのパレットに積み込んだりした。

真夏、冷凍庫と外との温度差は30℃以上になり、一気に自律神経を狂わせる。荷の重量は関節を痛め、温度差は神経を傷つけた。それでも日払いで5000円というバイトはそう多くはなく、坐骨神経痛の片足を引きずって、何カ月も通い続ける――そんな甘っちょろい時間を過ごした当時の自分が行間に投影される。こんな生活は、そうでなくとも十分な学費や生活費を送ることのできなかった父や母の気持ちを、深く傷つけたに違いない。

 

 

どの本も、奥付にあるプロフィルは「1967年、東京都生まれ。中卒。」から始まっている。2011年「苦役列車」で芥川賞を受賞したが、本人の意向で、ほとんどのプロフィル欄に「芥川賞」の文字は入れなかったという。

2022年2月4日夜、移動中のタクシーの中で具合が悪くなり、病院に運ばれたが、すでに心臓は止まっていた。邪推に過ぎないが、こんな死に方を願っていたのではないか。

今日、たまたま開いたメモ帳に、鷲田清一さんの言葉があった。生前、西村さんがこの言葉に出合っていたら、なんというだろう。そんなことを、考えたりもする。

 

「弱さ」は「強さ」の欠如なのではない。

「弱さ」というそれ自体の特徴をもった劇的で

ピアニッシモな現象なのである。

それは、些細でこわれやすく、

はかなくて脆弱で、

あとずさりするような異質を秘め、

大半の論理から逸脱するような

未知の振動体でしかないようなのに、

ときに深すぎるほど大胆で、

とびきり過敏な超越をあらわすものなのだ。

部分でしかなく、

引きちぎられた断片でしかないようなのに、

ときに全体をおびやかし、

総体に抵抗する透明な微細力をもっているのである。