言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

夢の話。

仕事の帰りに立ち寄った、どこかの湖畔の古い旅館。
厨房らしきところの
少しだけ開けられた窓から
白い蒸気がゆらゆらと立ち上っている。


まだ営業しているんだ。
そう思って
正面玄関からホールに入ると、
コックさんの白い制服を着たAさんが笑顔で迎えてくれた。

おまえ、よく来たな。

親族以外で、私のことを下の名前で呼んだり、

おまえ呼ばわりするのは、
この街に来てからは二人しかいない。
Aさんはその一人で、工務店の社長さんだった。


亡くなる1カ月前にいきなり
事務所を訪ねてきて

「ここ落ち着くなあ」といって
おまえ、悪いけど、
10人分の感謝状を書いてくれと、頭を下げた。

「俺、文章なんか書けないの、知ってるよな」

末期のがんだった。
時間はないけど、
しゃべる時間は必ずつくるといって
その日は帰っていった。
が、その時間がつくられることはなかった。

詳細な検査をする前の旅立ちだった。

おまえはイタコみたいだ。
人が言葉にできない言葉を、
いつも、ちゃんと拾って言葉にしてくれる。
10人分、頼みに来る。
書いてくれよな。ちゃんと、しゃべるから。



朝帰りなんかするもんじゃない。
女の家に泊まったら
三日後の夜に帰るくらいで、ちょうどいい。

そのころにはもう、女に飽きている。
男は誰かの前で
涙を見せるもんじゃない。めそめそじゃなくて、
押入れのなかで、しくしく泣くもんだ。

こんな口癖、たくさんあって。


目の前でほほえんでいるのは間違いなく、Aさん。
私の顔を覗き込むように、
あのいかつい、大きな顔を近づけ、
元気ないなといって、向こうが顔を伏せた。


いえ、
会えてうれしいですと無理に笑顔をつくると
大きな右手で涙をぬぐい、

汚れたエプロンで、濡れた手の甲を拭いた。



いいか。
人の役に立つ仕事をするんだ。
できる。

おまえなら、できる。


どうして、そんなに自分を責める?
黙っていたって、
他人はちゃんと、

お前を責めるチャンスをうかがっている。
自分を責める必要なんかない。

 

帰れ。
帰ってすぐに仕事だ。

Aさんはそういって、
湯気で真っ白に煙った厨房に消えて行った。
背中が次第に小さくなって
その場の空気が、しばしの間、震えていた。


目が覚めた。
枕が濡れて、冷たくなっていた。
朝方、見た夢。