言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

Circle Game

Buffy Sainte-Marieのレコード「Circle Game」がいまも手元にある。映画「いちご白書」(1970年 米)の主題歌だ。


学生運動の映画だったが、通しで2回観ても、さっぱり訳がわからず、警察に抵抗する学生ってカッコいい…というくらいにしか思えなかった。ただ、主題歌だけは気に入って、町に1つしかなかったレコード屋さんに注文して買った覚えがある。


それから数年後。受験に行った大学で、生まれて初めて、機動隊と警察官の集団を目の当たりにすることになる。キャンパス一円をぐるりと機動隊が取り囲み、その周囲をヘルメットを被った学生たちが大声をあげて走り回っている。私たち受験生は厳重なボディチェックを受け、受験会場に入ったが、試験の最中もずっと、機動隊と学生たち、互いの罵声が響き渡っていた。



当時、○×派の拠点が大学にあり、学生運動のおかげで、授業料は安く抑えられ、寮費もただ同然になった。結局、私たちは4年間、親孝行ができたことになる。ただし、学生運動と授業料との関係は、卒業するまで理解はできなかった。


在学中、派閥闘争だけで自殺・他殺を含め、計4人がキャンパスで生命を失った。学生運動が下火になる頃とはいえ、過激な運動家はまだ少なくはなかった。

音楽サークルに籍を置く軟弱な学生だったが、先輩たちに誘われ、何度かデモには参加した。誰に向かって、何を要求し、何をめざしているのか、デモ隊の何人が理解していただろう。傍らにはいつも「二十歳の原点」(高野悦子 新潮社)があった。

 

恐がることはない。私を圧迫し支配するものに、怒りのまなざしをぶつけてやれ。すべては敵だ。

 

八時頃、機動隊が西門から入ってきた。一メートルほどの距離にジュラの盾をもった機動隊に対して、私はスクラムを組んで「カエレ!」のシュプレヒコールを叫んだ。

 

きのう鼻を機動隊に殴られて赤くはれている。人はまたどうしたのときくだろう。うるさい人たち。それにしても右ほおのアザと、赤い鼻と、まるでピエロのようで恥ずかしい。

 

人間は誰でも、独りで生きなければならないと同時に、みんなと生きなければならない。私は『みんなと生きる』ということが良くわからない。みんなが何を考えているのかを考えながら人と接しよう。

 

はちきれんばかりの白い粒片が 風に酔ってはしゃぎまわっていた 純白の幼き子供達よ ぶつかりあい飛びちり一心に舞うおまえよ

二十歳の原点」(高野悦子 新潮社)

 

誤解を恐れずにいえば、機動隊が睨みつけるすぐそばで、大声をあげつつ行進するのは快感だった。調子にのって機動隊に近づいていくと、彼らは通行人や見物人にはわからないように、それでいてかなり計算ずくで強烈に、身体の急所をねらって肘鉄を喰らわせてきた。

 

体制、帝国、政府、アメリカ、ベトナム、沖縄、平和、闘争、休学、授業料。とにかく、何でもかんでも反対、反対。頭の中で「サークルゲーム」と「高野悦子」がぐるぐる回っていた。

 

──And the seasons, they go round and round
And the painted ponies go up and down
We're captive on the carousel of time
We can't return, we can only look
Behind from where we came
And go round and round and roun In the circle game.

※「いちご白書 ~ サークル・ゲームBuffy Sainte Marie: LP Record.

 

何度も聴いて、ついには歌詞まですっかり暗記してしまった「Circle Game」。あの時代、ヘルメットを被り、マスクで顔を隠し、角材を片手にシュプレヒコールをあげていた友人や先輩の多くは、やがて、スーツで身を固め、時折ネクタイを緩めながら仕事の辛さや老後の不安、人生のうんちくを語りつつ生きてきたはず。自分は、10年にも満たない会社員生活を経て、以後ずっと、少しも世のためにならない仕事を続けている。

 

誰が悪い、自分が正しい。そんな渦のなかにいてはいけなかった。私たちはみんな一緒に「Circle Game」のなかに在る――という程度のことに、いまも、みんな気づかぬままでいる。