言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

大丈夫。

何かで困ったり、悩んだりしたとき、おまじないのように「大丈夫、大丈夫」と唱える癖がある。子どものころ、父の布団のなかでよく聞いた寝言が根っこにあるようだ。

Aさんから電話。家族の病気が心配、経営の先が見えないなどなど、ちょっとした愚痴が続いた。ふんふん、大変だね、と話を聞いていたが、最後はいつもの癖で「大丈夫、大丈夫」といってしまった。


Aさんはいう。「そうだよね。みんな神さまの計画だものね」


これから先のことなど、誰一人、わかるはずがない。にもかかわらず、ふと口から出てしまう「大丈夫」。しかし、この言葉は、あながち無責任な言葉ではないはず。何かの保証がないと前に進めないとしたら、誰一人、一瞬たりとも、生きてはいけない。危機管理も確かに大事だが、その枠組み以上に視野が拡大しないことで、ほんとうの危機を見落とすこともある。

 

私たちの「大丈夫」とはきっと「No problems 」や「No danger」ではなく「God  bless you」なのだ。信仰心など持たない自分が神さまを語る資格などはないが、神さまだって、佛さまだって、もちろん、ワタシもあの人も、あんたのことを応援してるよ、という心から発せられる言葉が大切なのだと思う。

 


愛語は愛心よりおこる 愛心は慈心を種子とせり
愛語 廻天の力あることを 学すべきなり。(道元禅師『正法眼蔵』)



お金を貸すことも、凝り固まった肩を揉んであげることもできないが、せめて、誠心誠意、発する言葉に愛を込める。小さな奇跡が起こることを願いつつ。

 

今日、こんな駄文を読んでくださった方々にも、おすそ分け。

大丈夫、大丈夫。