言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

「深い河」。

英語でベナレス、ヒンドゥー語ではバラナシという。首都デリーから南東に約82キロ。ヒンドゥー教最大の聖地であり、インド各地から年間100万人を超える巡礼者が訪れる。

 

街を流れるガンジス河畔は「大いなる火葬場」として知られ、1日に100体近い遺体が金銀の艶やかな布にくるまれ、河岸に点在する火葬場へと運ばれる。遠藤周作は「深い河」の中で「ガンジス川は指の腐った手を差し出す物乞いの女も殺されたガンジー首相も同じように拒まず一人一人の灰を飲み込んで流れていきます」と書いている。
 



 
生も死も一緒に野ざらしにされるようなこの地を旅をしたことがあった。最初の旅は、19歳の夏。ムンバイ(当時はボンベイといった)、オーランガバード、デリー、カジュラホを経由して、最終目的地のバラナシの手前100キロほどの小村にたどり着いた。
 
この国の街はどこも、すべての生き物の希望を奪うような渇きに支配されている。ターメリックやクミンの匂いが石畳にまで染み込み、大きな通りには、リキシャや汚れたタクシーに混じって、野犬や牛が偉そうに闊歩する。
 
路地裏では、子どもが行き倒れになったハリジャン=不可触民たちの傍に唾を吐いて通り過ぎ、出稼ぎのネパール人たちが、時折、インド人たちに袋だたきにあって叫び声を上げている。
 
そんな光景を目にするうち、生も死も定点に位置するかのような錯覚に陥っていく。脳内に、出航前の銅鑼の音が常に響き渡っているかのような覚醒感を抱えたままの日々が過ぎていく。夜になると、漆黒の空に茶わんのような大きさの星が数百数千と瞬いて見えた。宇宙が手の届きそうなところにあった。五感で感じる事象のすべてに驚愕し、叫び、そんな自分に酔った。
 

宿に着いたのは22時を回った頃だった。土間にパイプベッドだけの簡素な部屋である。トイレとシャワーは共同で1泊300円程度の商人宿だ。
 
前日から始まった下痢は治まらなかった。ボイルドウォーターだけで3日間を過ごした。病院は隣町にある。日に数本のバスに乗る体力も失せ、朝から夜まで十数回、部屋の外にあるトイレを往復する。路上で暮らすハリジャンからもらった食料を安易に食したのが原因だったのだろう。
 
次第に意識が遠のき、得体の知れない幸福感を感じるようになっていた。深夜になると、チッチッという小さな音が身体の内側から聞こえてきた。あとで知ったが、骨がやせる音があるのだという。「ここで死ぬのか」と思うと妙に気持ちが鎮まった。無性に父や母に会いたくなったが、再会が約束されている、そんな根拠のない安心感があった。



10日間が過ぎた。日に日にやせ細っていく私を見かねたのか、宿の人が、オート三輪で隣町の病院まで運んでくれた。きつい薬が処方され、数日で下痢は治まったが、頭蓋骨が割れるような重い副作用に苦しんだ。体重は出国前と比べ8キロ減っていた。
 
旅を諦めたのは、散歩の途中で立ち寄った寺院の僧侶の一言だったかもしれない。
「バラナシはあなたのことを呼んではいない」
翌朝、雨の中をカジュラホ行きのターミナルまでゆらゆらと歩き、バスを乗り継いでデリーに向かい、39日目で帰国することになる。帰国後は肺炎を発症し、家族にも迷惑をかけた。

数年後、再びバラナシをめざしたが、1カ月ほどたって、旅はまた、道半ばで諦めることになる。長距離バスや3等列車を乗り継ぐ過酷な旅は、体力を奪われるだけだった。「ここではない、どこか」に行き「私ではない誰か」になれば幸福に近づける。そんな焦りの只中にばかりいた。



毎朝、仕事を始める前に瞑想をする。目を閉じて10分間ほど、呼吸に意識を向けるだけである。「いま・ここ」を丁寧に感じることで、自らの中にある揺れを少しだけ鎮めることができる。
 
不安も恐れもなくならないまま20年も続けているが、効能みたいなものがあるとすれば、自分の意志で時間の流れに小さなピリオドを打てるようになったことかもしれない。
 
あの日、インドの僧侶が伝えようとしたのは「遠い国の聖地まで行かなくても、君の家の庭もすてきだよ」「君は『いま』を生きているのか」といったメッセージではなかったか。
 
子どもの頃の時間を振り返ると、うっとりするほどきれいな気持ちになれるのは、何の計算もなく、瞬間瞬間を生きていたからだ。

人生の大切な答えは、目を向けたくない場所にそっと隠れている。理想の自分と比べてばかり。内側に隠れていたものから、目を背けてばかり。そんなことに時間を割いてばかり。
 
「ここでいい、これでいい」
呪文のようにモグモグと唱えるとき、言葉はやがて甘い房となり、人生の果実に変わっていく。
 
誰かがいっていた。言葉が脳をだましてくれることもある。それもありだな、って思うことにしている。
 
 
 

「深い河」 遠藤周作 講談社
 
バラナシ・ガンジス河畔を舞台に、人間の存在、宗教の意味を問うた遺作。長い間、避けてきた作家だったが、帯にある文章に目が留まった。――人生の岐路で死を見た人々が、過去の重荷を心の底にかかえながら、深い川のほとりに立ち何を想うのか。神の愛と人生の神秘を問う――。
ここでの「岐路」とはまさに「河」であり、高山の細く険しい尾根であるかもしれない。一歩間違えると、濁流、あるいは深い谷底に一瞬で落ち込んでしまう。行く先は見えてはいる。が、ときに死さえも待ち構える危険な道筋である。それでも、私たちは歩を進めなくてはならない。
作者は最後まで「問う」ことを放棄せず、惑いの中にいる。私たちも同じく、惑いを抱えたまま本を閉じ、活字の河を漂う旅を終える。