言葉と記憶の小径。

A Pathway of Words and Memory.

夏なんです。

身体が暑さでどろりと溶けそうな季節になると「風街ろまん」(かぜまちろまん はっぴいえんど)が聴きたくなる。大好きな「夏なんです」は松本隆の作詞、細野晴臣の作曲・ボーカル。

 

いつかBSで見た大瀧詠一のトリビュート番組で、松本隆が「大瀧さんはラブソングを歌えるが、細野さんは…」といっていたが、それはおそらく、細野晴臣の曲づくり、歌い方を称賛したのだと思う。世代も時代も国境も越えていく音楽とは、こういうのをいうんだろう。

 

 

初めて聴いたのは、高校1年のときだった。前年に母に無理をいって買ってもらったオレンジ色のド派手なラジカセのラジオから、だらーんとしたこの曲が流れてきたとき、小学校に行く途中にある、まだ舗装もされていない小径の風景が頭に浮かんだ。駅や街に行くとき、自転車で通る道でもあった。

 

里山のすそ野になだらかに広がる3区と呼ばれる地域は、遠くまで延々と連なる炭鉱住宅が空とつながっているみたいに見えた。

 

朝や夕刻、坑内から戻った父さんたちの顔は煤けて、二つの眼ばかりがぎらぎらと光っていた。父さんたちが毎日無事に帰宅することは、けっして当たり前のことではなかった。忘れたころに起きる落盤事故。うーんうーんと不気味にうなるサイレンは事故の合図である。この音が聞こえると、教室の子どもたちは、冷たくざわめきたった。

 

落盤事故で父さんを亡くした子どもはやがて、人知れず、家族とともに街を去っていった。鉄道員だった父は、何十何百という家族をホームで見送ったはずだ。遅く帰宅し、いつもに増して酒を飲み、意味もなく箸や小皿を壁に投げつけたのは、そんな日であったかもしれない。

 

 

楽曲は生ギターのシンプルなイントロで始まり、細野さんの低音が静かに響く。松本隆はのちに「少年の目線で夏休みや入道雲への愛情を素直に表現できたんじゃないかな」と話している。

 

地面と樹木、里と空が近い。ゆっくりと熱い空気が動いて、埃のたまった記憶にまとわりついてくる。強い日差しが腕や首に刺さる。

 

見えないところで、数えきれない生物たちがうごめいている。彼らを代表して、生きる証を音で発信するのは蝉たちだ。

 

夏は死者たちが故郷に還る季節でもある。じいちゃんとばあちゃんが、一つの日傘で歩いている。少し向こうに、父と母の姿が見えた。母の影は、まだ薄い。

 

それが、夏。もう、夏なのだ。そう、夏なんです。