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渡航船で拾われ「1900(ナインティーン・ハンドレッド)」と名づけられた赤ん坊は、そのまま船員たちに船の中で育てられ、やがて天才ピアノとして成長する。
生涯一度も陸へ降りることはなかったが、降りようとしたことが、一度だけあった。
陸地に降り立とうと決心した、その日。
船上からは見渡す限りビルが立ち並び、たくさんの人々や車が道路を行き交っているのが見える。
衣服を整え、帽子を見繕う。
しかし、船から陸へと続く階段を半ば下りたところでふと立ち止まり、しばらく都会(まち)の光景を眺めたあと、帽子を海に放り投げ、降りてきた階段を再び上り始めてしまう。
陸の人間は、WHYばかりだ。
WHY、WHY…
あの大きな都市(まち)が、
どこで終わるのか教えてほしい。
ぼくには、NO ENDにしか見えない。
このほかにも、いくつもの場面で、陸を知らない彼の世界が、哲学的な言葉で表現される。
ピアノの鍵盤の数は88鍵と決まっているが、
弾く方の人間は無限なのだ。
結局、彼は最後まで陸に降りることを拒んで船にとどまり
スクラップとなる船とともに消えていく。「終わりの見えない世界」に降りるくらいなら、「この人生を降りる」ことを選ぶのだ。
台詞の大半は、同じバンド仲間の親友マックスによって語られる。
いい物語があって、
それを語る人がいるかぎり、
人生、捨てたもんじゃない。
この言葉が、ピアノの音色とともに、いつまでも耳に響いて残る。
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この映画を見るたびに思い出すのが「砂の女」(安部公房 新潮文庫)だ。
ある日、海岸の砂丘に出掛けた男が、砂に埋もれた民家に取り残されてしまう。砂をかき出し、何度も脱出を試みるが、全て失敗に終わる。
やがて、砂に埋もれた家で、女との生活が始まる。男はあきらめきれず。あらゆる手段を使って外の世界に戻ろうとする。しかし、その都度、村の人たちに引き戻されたり、砂で溺れそうになったりして、砂だけの世界に閉じ込められてしまう。
ある日、女が病院へと搬送された後、外に出る縄ばしごがそのままになっているのに気付く。が、男はもう、外の世界に戻ろうとはしなかった。こんな話だった。
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そろそろ「自分のピアノ」が弾けなくなる、そんな歳になった。出会いの数だけ発見もあったが、どんな財宝だって、自分の「器」以上には入りきらない。たくさんの大事なことを、見過ごしてきたに違いない、
砂に埋もれた世界から抜け出そうと、もがき続けてはきたものの、近年、この世界の居心地もまんざらではないと思い始めている。あんなに、もがいていたのにと、そんな自分に、驚いたり、あきれたり。静観か達観か、諦めか。わからない。ただ一ついえることは、自分はどうやら不幸ではなかった、むしろ、幸せな人生であったということ。
映画に、こんな台詞があった。初めて、この映画を見たときはぴんとこなかったが、いまなら「1900」の気持ちが少しはわかる。
問題は目に
見えるものではなく、
目に見えなかったものなのだ。

※
「海の上のピアニスト」(原題『THE LEGENDO OF 1900 』)
(1999年 米・伊)
監督:ジュゼッペ・トルナトーレ
主演:ティム・ロス、プルート・テイラー・ヴィンス
「ニュー・シネマ・パラダイス」のジュゼッペ・トルナトーレ監督作品。音楽、エンニオ・モリコーネ。一つの時代の終わりと新しい時代のはざまで揺れる、一人の天才ピアニストを描いた現代の寓話。