言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

精霊と黄金の仏が棲む古都、ラオス・ルアンパバーン。

遥かチベットに源流を発する大河メコン。その中流域に位置するラオスルアンパバーンは、14世紀から18世紀、ランサン王朝の首都として栄えた街である。早暁、寺院から現れた僧侶たちが音もなく裸足で歩を進め、人々は歩道に座して喜捨をする。悠久の時を経ても変わることのない托鉢の光景が、いまもなお、日々繰り返され、民家の庭先には精霊が宿るとされる小さな祠、人々のどこまでも静かな言葉が交歓されていた(主に写真の記録として)。

 

 
右肩を出した着方をするのは20歳以下の「小僧さん」。どの寺院でも重厚な読経の声に子どもの声が混じる。

 

 

 
 
 

日本円で1000円前後(朝食付き)で泊まれるロッジが町中にある。シャワーは冷水のことが多いが、どこも清潔で快適。ラオスは日本と同じ、屋内では土足厳禁だ。床は常にきれいに磨き込まれている。

 

 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
フランス植民地期に建設された旧王宮(現ルアンパバーン国立博物館)に安置される黄金の仏像「パバーン」が、14世紀以降の町の守護仏。正月4日にはパバーンが隣接したワット・マイ(1788年から70年かけて建立された寺院)へ古式ゆかしい行列とともに輸送され、読経や潅水の儀式が行われる。

 

フランス統治時代の影響は食生活にも残る。フランスパンが主流で、街なかのワゴンで気軽にオーダーすることできる。

 

 

この世のあらゆる場所が水で覆われていた昔むかし、水を踏みしめて大地を創造したプー・ニュー、ニャー・ニューの夫婦がいた。地上を覆って人々を苦しめた大樹を切り倒したが、夫婦はその下敷きとなってしまう――ラオスの建国神話は精霊の犠牲の物語。深々とした森に抱かれ暮らしてきた人々は、全てのものに精霊が宿るといまも信じている。民家の軒先にはどこも祠が設けられている。
 

小一時間もあれば端から端まで歩ける面積に大小80もの寺院。メインの通りにもデパートやショッピングセンターはなく、町中が森の香り、小鳥のさえずりに包まれる。「アジアの最貧国」といわれる一方で「最後の桃源郷」と称されるゆえんである。

 

 

 
 
 
 

雨季の真っただ中。河岸に観光客は一人もいない。20人乗りのひなびたクルーズ船を500円くらいで貸し切り、上流に向かった。全長4350キロ。中国、ミャンマーラオス、タイ、カンボジアベトナムに跨がる世界で10番目に長い大河である。祖先たちは中国雲南省から川を下って、ここルアンパバーンまで南下。人々はこの川を畏れ、崇め、計り知れない恩恵も享受してきた。

 

 

 
町には信号はない。立派な橋も大きなビルもない。人々は怒らず、焦らず、欲しがらず、どこまでも静か。居心地の良さは、「足る」ことを知る、慎ましやかな人々によって醸される。
 
 

 
 

メインの道もクルマよりはるかに多くのバイクが疾走し、夜になると中心部はナイトバザール。メインの通りからはずれると、人影はほとんどない。人々の話し方は、どこまでも静か。静謐とは、音のないことをいうのではない。音への嗜みが背景にある静けさをいう。

 

 

 
 
 
 
古刹のみならず、白壁に覆われた高床式の伝統家屋が多く残る。フランス植民地時代のコロニアルな建築と調和した町全域は1995年、ユネスコから世界文化遺産に認定された。

 

 

 
 
 
 

 

 

 

 

 

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※「全東洋街道」 上下 (集英社文庫) 文庫 藤原 新也 (著)

銀塩(フィルム)カメラの時代には、1つの旅、1つの現場で、何本のフィルム、何カット、という制限を決めて撮影に臨みました。フィルムは高価であり、現像もまた高価な時代でした。デジタルになってからは、1枚のSDカードで何百、何千の写真を記録できます。一瞬で画面を切り取る緊張感や覚悟はおのずと希薄になり、五感までが鈍感になってきた気がします。どんな仕事も、己に課す制限が必要です。この現場は、1カット、あるいはフィルム1本で決める。そうした腹のくくり方から、いい作品が生まれることもあります。「全東洋街道」には、旅の現場で、瞬時に切り取られたアジアの息遣いが詰まっています。幻想的な写真と紙から匂い立つような艶やかな文章――。ルポもエッセイもこなせる、このような写真家が少なくなりました。