〇日
一時はこの仕事、ほんとうに完成できるのだろうかと考え、眠れぬ日々が続いた。しかし、不安は杞憂に終わる。昔、「杞の国」に住む男が、天が崩れたら自分の住む場所がなくなってしまう、と心配した中国の故事から生まれた言葉とされる「杞憂」。
玄関先でA先生と奥様に見送られ、外に出たときの空の高さ。どんなことでも必ず、過ぎ去るのだ。
生きている間に、あとどれくらい、仕事に携われるだろう。そう考えると、人生は自分が思ってきたよりも、ずっと短い。歳を重ねた証拠なのだろう。
年齢の「齢=よわい」には「世延い=よはい」に源を発するという説がある。「世」は空間、時間などの「間」を表す言葉である。「世間を歩く」といわず「渡る」と表現するのも、平らなところではなく「間」と「間」を移動するから。「延う=はう」は文字通り、延びる。つまり、歳を重ねるということは、時間的、空間的なひろがりを意味する言葉とも解釈できる。
老人のことを「齢人=よはいびと」ともいう。このいのちが尽きるまで、ひろがっていかなければならないようだ。
〇日
灰谷健次郎「太陽の子」読み終える。3度は読んでいるはずなのに、またいくつも言葉を拾い、メモに書く。
日本人が目を背けてきた歴史、一つの生や死がどれほど多くの人たちの涙の果てにあることなのか。沖縄出身の両親をもつ少女・ふうちゃんが、悲しい歴史を背負った大人たちの間で、たくましく成長していく。ある場面で、尊敬する詩人の一人、山之口獏の詩が紹介されていた。
座蒲団//
土の上には床がある
床の上には畳がある
畳の上にあるのが座蒲団でその上にあるのが楽という
楽の上にはなんにもないのであろうか
どうぞおしきなさいとすすめられて
楽に座ったさびしさよ
土の世界をはるかに見下ろしているように
住み馴れぬ世界がさびしいよ
=詩集『思辨の苑』1938年=
戦前までの沖縄では、畳すら敷けない家が少なくなかった。座布団をすすめられ、そこに座すことの快楽を自省する精神のゆたかさ。日本人の家のあり方、人としての生き方を顧みる詩人の鋭い視座。
何度読んでも、主人公・ふうちゃんのまっすぐな眼差しに胸を打たれる。昔、NHKでドラマにもなったが、同作品に先に出合ったのが、読むきっかけとなった。
「太陽の子」灰谷健次郎
「不幸やかなしみは、それがひとつずつ離れてあるものではなく、つぎつぎつながっているものだ」。主人公のふうちゃんの心のうちをあらわした言葉である。
かなしいことがあったら
ひとをうらまないこと
かなしいことがあったら
しばらくひとりぼっちになること
かなしいことがあったら
ひっそりと考えること
ふうちゃんの机の前には、こんな言葉が紙に書いて貼ってある。自分もまねて書いてある。恥ずかしいので、机の前ではなく、ひきだしの中にメモしてしまってある。