言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

「はる」という名のネコ。

前の前の年の秋頃から、庭先に通ってきた野良ネコがいた。週に何度か縁側で休むようになった。撫でてやると、体をすり寄せてくる。冬になっても、週に数回、やってきて、その回数は少しずつ増えていった。

 

雪の日は、雪を漕いでやってくる。朝、窓の外を見ると、足跡があるので、すぐにわかった。深夜は、どこかの軒下で雪と寒さをしのいでいたのだろう。明るくなると、窓の外でじっとこちらを見つめる彼がいた。その都度目を見ながら、あなたは、ここでは飼えないからね、と言い聞かせてきた。

 

秋になると、綿毛みたいなふさふさの白い毛になった。冬が過ぎ、3月。毛はうす汚れて灰色に変わり、ある日から突然、足元がふらつくようになってきた。野良同士のケンカに負けて顔中血だらけになってくることもあった。このままだと、夏まで生きられない。そう思った。

 

役所や愛護団体、ネコカフェなどに連絡して対処方を聞いてみた。まずは保護です。病院で必要な検査をしワクチンを打ち、十分に人慣れしてから、その段階で受け入れるかどうかを検討しましょう。どこも、おおよそ、そんな答えであった。その際にはお願いしたいと、いくつかのルートを確保しておいた。

 

ホームセンターで餌の缶詰、かりかりごはん、キャリーケース、トイレやトイレシート、大型ケージなどを購入。後日、縁側にちょこんと座ったところを抱き上げ、キャリーケースに突っ込み、動物病院に走った。ケースの中の彼は、全身を小刻みに震わせ、鳴き声ひとつ出すことはなかった。

 

ノミやダニを駆除する薬剤を首のあたりに塗り込み、血液検査をし、ワクチンを注射していただいた。検査の結果は、免疫不全となる不治の病だった。野良ネコの約3割は罹患しており、何年も発症しない場合もあるが、発症した後の寿命は長くないという。先生の申し訳なさそうな表情を見て、こちらも申し訳ない気持ちになった。

 

薬剤が全身に効くまでに1週間。この間、ケージから出さずに餌を与え、トイレ掃除に徹する。慣れているネコであれば自分でシャンプーもできるが、一度、嚙まれたこともあったので、少し怖い。

 

病院でもシャンプーは受け付けてくれる。しかし、予約は1カ月先まで一杯。市内のペットショップやトリミングサロンにシャンプーをお願いできるか尋ねたが、野良で保護したばかりと話すと、全て断られた。

 

あきらめかけていた矢先、やってみましょう、と引き受けてくれたのが、A町にある小さなトリミングサロンだった。予約をして翌日、お店に向かう。私も先日、保護したばかりです、という受付のお姉さんとやさしいお兄さんが見事、全身をきれいにしてくれた。

 

自分も家族も、少し苦手なあの人だって、いつかは、この世から消えていなくなる。それだけは確かなことだ。にもかかわらず、生命の終わりを宣告され「死」が見え始めると悲しい気持ちになるのは、なぜなのだろう。いつかは死んでしまうのに、生まれてくる意味、生きていく意味とはなんなのだろう。そんなばかみたいなことばかり、考えてしまう。

 

生きることのゆたかさは、何もかも、いつかは終わってしまうという真実を、どれだけ受け止めているかの量に比例する。そうした現実に、何もできないという無力さとも。

 

あの日から、3年が過ぎた。春に一緒に暮らすことになったので、名前は「はる」。毎日を大切に生きていきましょう。

 

 

雪が降る前から、週に何度かやってきて、縁側の窓ガラス顔をくっつけて休んでいた。鼻と頭にひっかき傷。このときはまだ、からだががっちりして、元気そうに見えた。

 

 

冬を越し、保護した日は、すでによれよれの状態だった。このままでは死んでしまうと判断した。ケージなど、ネコを飼うために必要なものを購入。保護したあと、動物病院に走って必要な検査をした。免疫不全となる不治の病だった。もう少し早く、保護すればよかった。

 

 

受診して10日後、市内のお店でシャンプーもしてもらった。あちこちお店を当たったが野良、というだけで断られた。お店のおかげで飼いネコみたいにきれいになった。おびえながらケージから出た日。

 

今日も元気。ずっと一緒に、元気に暮らしましょうね。