言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

犬と人。

おつきあいのある会社に雑種の大きな犬がいた。こんにちは、といって玄関を開けると、はっはっはっと息を切らして事務所の奥から、走ってくる。


からだを脛にこすりつけながら顔をあげ、目が「撫でろ」といっている。喉元をさすり、頭を撫で、おなかをポンポンポンと叩いてあげると、来客用の椅子に飛びのり、そこですぐに眠ってしまう。

飼い主のAさんは、野良犬をつかまえ、毎晩、犬鍋にして食っているようないかつい顔の人だった。でも、顔に似合わず、ほんとうは、人も犬も大好きな人で、私もAさんのことが大好きだった。

犬は、ずっと椅子の上で眠っていたくせに、帰り際には目を覚まし、玄関先まで、はっはっはっといいながら見送りをしてくれた。振り向くとガラスのドアの向こうにきちんと座って、いつまでもこちらを向いていた。



昔、家でタロという名の雑種の犬を飼っていた。コリーの血が半端に入った鮮やかな茶色の犬で、耳と鼻のかたちの精悍さだけはコリーの面影を残し、胴体といえば、やせて毛並みもあまりよい犬ではなかった。昔のことだから、庭に粗末な小屋を設け、鎖でつないで飼っていた。

4歳のときから一緒だった。最後の3年間は横浜にいたので、正確にはずっと一緒ではなかったことになる。

タロとは兄弟のように育った。タロのそばで薪割りをし、キャッチボールをし、タロが幼い頃は、一緒に犬小屋に入って昼寝をし、毛だらけになっては、母に叱られた。

冬になると、寒さと雪で、喉元から腹にかけて毛が凍りつき、お腹のあたりに小さなつららができることもあった。それでも、庭に出ると散歩に連れて行けとせがんで吠える。寒さも雪も大好きな犬であった。

近くの公園まで連れて行き、鎖から放すと、全身雪だらけになって走り回る。粉雪だらけの真っ白な顔で、戻ってきては撫でろとせがんだ。両頬をくしゃくしゃに撫でると、全身が真っ白になって、また雪野原を駆け回る。こうしてやると、マイナス20℃の厳寒の夜も、ぐっすりと眠るのだった。


その夜は、渋谷のアルバイト先にいた。そこに父から電話が入った。「タロ、死んだ。一応、知らせておく」。数日前から足がふらつき、最期は父の腕のなかで息を引き取ったという。「庭を掘って埋めた」。そういって、父は少しの間絶句し、鼻水をぐすっとすすった。17年のいのちだった。


当時、実家に帰るのは、年に1度あるかないか。バスを降りて、まっすぐなゆるい坂を昇っていくと、新しい家の谷間に埋もれるようにして、古く狭い平屋の実家があった。小さな庭だが、母の手で丁寧に植えられた花や野菜は、遠くから眺めても、元気いっぱいに見えた。

タロが生きていた頃は、坂を昇り始めるとすぐに私の気配を感じ取り、ワオワオと吠えて迎えてくれた。犬小屋に近づくと、はっはっはっと抱きついて、しばらく私を離さなかった。

 


いまはタロの声もなく、あの家も、父も母もいない。いかつい顔のAさんは、ある日突然、私の事務所を訪ねてきて「俺の遺言書いてくれ」と言い残し、1カ月後に亡くなった。「世話になった人たちに感謝の言葉を遺したい」といったが、願いはかなわなかった。腎臓がんだった。Aさんの犬も、Aさんのあとを追うようにして、確か、ひと月もたたない頃に死んでしまった。

 

人も犬も、身近にいるどんな生き物も例外なく、私を残して死ぬはずはない。長い間ずっと、そう信じきっていた。だけど、何かの法則に導かれるように、あらゆるいのちが、いつか必ず未完のままに終わってしまう。日々果たすべきことを誠実に果たし、平凡を厭わず生きる者の凄みが、痛く感じる年になった。