言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

「黒」と「玄」。

デジタルカメラが主流になる以前、写真の現像といえばプリント、ポジともにラボに預けるよりほかはなく、手焼きで仕上げるのはちょっとオタクな人か裕福な部類に入る人たちだけだった。

 

白黒フィルムだけでもフジのネオパン、コダックのトライX、イルフォード、アグファなどの多くの種類があり、それぞれに個性があった。焼き方は同じでも仕上がりが異なる。そこが面白かった。

 

なかでも白黒写真は撮影者が暗室で仕上げるのが常で、覆い焼きや焼き込みといった手法でコントラストや明暗を使い分けていく。撮影手法はもちろんだが、フィルムの種類、仕上げの段階からも作風を主張することができた。

 

若い頃はポジを使うのにコストがかかり、白黒で撮ったネガを暗室で焼くことが多かった。それでも、特殊な現像が求められるトライXなどは、急ぎの仕事が増えるに従い、時間とコストの問題で使いづらくなっていった。

 

暗室では、液剤の底から、画像が浮かび上がるさまを凝視し、黙したまま現像作業にあたる。いまでも、白黒の写真集を開くとき、暗室で焼き加減を調整する撮影者の表情を想像してしまうのは、こうした経験が根底にあるからかもしれない。

 

 

 

デジタル写真の場合は、暗室ではなくパソコンの画像ソフトで仕上げることになる。何年使っても上手に操れず、情けない。白黒の表現は難しい、に尽きる。パソコンの扱いはさらに。

 

白黒の「黒」は「玄(げん)」と同義語だが、中国古代では「奥深い」といった意味としても使われた。のちに日本で定着した仏教では「玄関」など「奥深い道へ踏み入る関門」をあらわすような用語となり「幽玄」「玄人」などの言葉の由来にもなっている。

 

美術家の篠田桃紅は「玄というのはまた、一筆の濃墨で書くのではなく、淡い墨を重ねて刻していき、真っ黒の一歩手前で控えた色」と書いた。完全な「黒」を超えたところにある「黒のまた黒」でありながら、真っ黒、漆黒とは異なる。「黒」の手前にある黒だけに「動きを残す黒」になる、という意味だろうか。

 

私たち日本人が、白黒の世界に奥行きを感じ取れるのは「玄」が単に伝統色というだけではなく、色を超えた宗教的ともいえる世界をそこに感じ取れるから、と考えたほうがよさそうである。

 

 

写真/青森県立美術館HPより
 

「小島一郎写真集成」 インスクリプト

黒を超えて「玄」を求め、浮き彫りにされた世界が、写真を超越した画風を醸している。作品に動きや奥行きが感じられるのは、篠田桃紅が述べるように「玄」ならではの運動性を極めようとしているからだ。カメラやレンズの優劣など問題ではなかった。津軽の風土とそこに生きる人々に敬意を払い、共感し、心揺さぶられ、自らの心象風景に重ねつつ、誠実な暗室作業を行った。故郷の生活者の視座を軸に据えた撮影者は、昭和39年、39歳の若さで急逝する。商業写真がはびこるこの日本で、もっと注目されてよいと思う。