言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

ドブを越える。

駅の並びにあった鉄道官舎で産湯を浸かり、4歳まで過ごした。長屋の裏、わずか5、6メートル先には線路。蒸気機関車が数分おきに真っ黒な煙を吐きながら行き来していた時代である。

線路の向こう側、ちょうどズリ山の麓あたりに広場があった。官舎の子どもたちは、そこで鬼ごっこをしたり、缶けりをして遊ぶ。その線路を渡る手前に、幅1メートルほどのドブがあって、日によって濃い緑や茶や黒に色を変え、吐き気をもよおすほどの悪臭を放っていた。

悪ガキたちはまず、ドブを「えいっ」と渡り、どーだ飛べただろう、とばかりに後ろを向いて胸を張る。線路に出ると、機関車が100メートル先に見えても、少しもたじろかない。「怖くないぞ」とばかりに、わざと悠々として渡ったりもする。それができるのは、小学生以上の子どもたちで、幼稚園に通う子やそれ以下の子どもには危険きわまりないことだった。母親たちは常に神経を尖らせながら、そうした悪戯を阻止するのに躍起になっていた。

年上のケンちゃんやヨシコちゃんが家に迎えに来ると、決まって線路向こうの広場に遊びに行った。二人とも、ぴょんとドブを飛び越え、悠々と線路を渡っていく。私はというと、のこのことあとをついては行くが、ドブの前で飛べずに泣き出すか、ドブに落ちても泣いてばかり。その泣き声を聞いて駆け付けた母親につかまって、拳固で頭を叩かれ、またビービーと泣き叫ぶのである。


新しい家に引っ越すまで、ドブをまともに越えることはできなかった。ほとんどの場合、ドブに落ちては泥だらけになって広場に行くか、越えられずに母に見つかり、また叱られるのがおちだった。


朝方、短い夢を見た。目の前に、あのころと同じドブがあった。大人の自分には、越えるのは楽勝と思えたが、ひょいっと飛んだつもりが、そのままドブに落ちてしまった。どういうわけか、真っ白なスーツをまとっていたが、下半身は泥と悪臭まみれ。「やっぱりダメだったか」と気落ちしつつも、前を向き、ドブをこぐようにしてそのまま歩き続けた。そんな夢であった。


振り返ると、自分の人生、確かに、いくつものドブにはまってきた気もする。全身泥だらけになるようなトラブルもたくさんあった。ドブのような国や街ばかりを選んで、旅もした。


頭やおしりを洋裁の物差しで、ぴしゃっと叩いたあの母も、静かに天国へと旅立っていった。あの夢で、あのドブを上手に越えていたら、母に会えただろうか。昔のことをあれこれと思い出し、改めて「どんなドブにはまっても、歩き続けよう」と考えたという程度の話。