言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

嫉妬──テルオ君のこと

手元に小学1年生のとき、クラスで撮った一葉の集合写真がある。
遠足かなにか屋外の行事のときのものだ。
そこに一人だけ、春か夏というのに
よれよれの黒いセーターを着た、虎刈り頭の子どもが写っている。
テルオ君である。

テルオ君はいつも青っ洟をたらして
顔は煤けたように汚れていた。
お兄ちゃんからもらったおさがりの服の袖は
青っ洟を拭くので、毎日、テッカテカに光っている。

テルオ君はまったくといっていいほど、勉強ができなかった。
これは、ほんとうのことだ。
鉛筆は筆入れに入れてくるのではなく
ちびっ子になったそれをバラバラの状態で
これまた、おさがりの古いランドセルに入れてくるのだった。
消しゴムはいつも隣の女の子に借りていた。
真新しい教科書も、手垢ですぐに真っ黒になった。

はなかっら勉強などバカにしていた。
一度見せてもらったが、
ランドセルのなかも、土を突っ込んだみたいに真っ黒け。
誰かからもらったものをお兄ちゃんが使い、
そのまたお古を使っていた。
だけどテルオ君は、そんなことなど、へっちゃらだった。

体育の時間は毎回、テルオ君の檜舞台だった。
走ると誰よりも早く、跳び箱だって、クラスでいちばん高く跳べた。
走っている途中に転んでも、忍者のように一回転して、
くるっと起きあがってはまた走った。


よし子先生はそんなテルオ君を「すごいね、カッコいいねえ」と、
みんなの前で一生懸命に誉めた。
テルオ君はそんなとき、細い目を見えなくなるくらい細くして
青っ洟をズルッとすすって、ニコリと笑った。
そんな二人の気持ちの往還に、いつもやきもちを焼いた。

テルオ君が学校に来なくなったのは、
2年生になる直前のことだ。
近所に住んでいた金ちゃんの話では
父さんと母さんがある日突然いなくなって、
2年上の兄ちゃんと毎日のように、味噌やご飯を
近所の人にもらいながら、何とか過ごしてはいた。
しかし、ある夜、親戚の人が来て
兄弟ともに、どこかに連れて行った、という話だった。
「テルオ、前の晩にうちにも来たぞ。米、くれってな」
金ちゃんは罪のない顔で、大きな声で、みんなに説明してくれた。

よし子先生は、事情を知っていたに違いない。
私はそんなふうに想像して、またまたやきもちを焼いた。

終業式になっても、テルオ君は学校に来なかった。
よし子先生は「テルオ君のことが大好きだったのに」といって
教室で何度もうなだれた。
「テルオ君がいるだけで、うれしかったのに」とも話していた。
そんなふうに
よし子先生に好かれる子どもになりたいと思った。

テルオ君のその後のことは、きっと、誰も知らない。
子どもだった自分のなかに疼いていた
どこか残酷な気持ちの断片は
いまも身体のどこかで、静かに燻っている気がする。