言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

木は しずかな ほのお

足元が寒くってしようがない。
去年まで、真冬も夏用の靴下で過ごしていたのが嘘のようだ。

この冬は、近所の「むかわや」で買った
3足セット980円という「遠赤靴下」が欠かせなくなった。
寒波が来ているせいもあるが
歳を重ね、体温そのものが下がってきた気がする。

事務所では雪の降りかたが気になって
1時間に一度はブラインドを開け、外を眺める。
ふだんはパソコンのディスプレーが見えにくいので
ブラインドは閉め切ったまま。
外の様子がこんなに気になるのも珍しい。

それでも日中、少し青空が見えると、うれしい気持ちになる。
雪かきはいやだが、青い空と白い雪の景色は美しい。

この景色を知らない国の人を気の毒に思ってしまうくらい。

 

事務所の前には、桜の樹がたくさんある。

春は一斉に桃色の花を咲かせ、夏は濃い緑の葉、秋は紅葉と、
一年中いろんな色に変化して、目を楽しませてくれる。
もちろん、この季節は葉を落とし、裸の枝を全部、天に向けて佇んでいる。

 

木が生き抜くためのエネルギーは、春や夏ではなく、冬に蓄えられる。

そんな話を、昔、デンマークの建築家から聞いたことがある。


栄養源は大地の養分と宇宙のエネルギー。
特に冬は、枝をアンテナにして宇宙から降り注ぐエネルギを受け取り
そのエネルギーを幹を通して根に伝え、
大地に貫流させながら、生きている。そんな内容だった。

「天が+の電極、大地が−の電極。
つまりは1本の木が電池のような存在。
天と地がある限り、エネルギーが貫流しているんだ」

「だからね、日本の建築に多い大黒柱は
建物に宇宙エネルギーを取り入れる装置でもあったと思う」

ガイコクジンのくせに、そんなことを、あっけらかんといってのけ、
妙に納得して聞いたことを覚えている。
冬になると枝が葉を落とすのも、
このエネルギーを取り込むためと考えれば合点がいく。

木は「焔」と書いた詩人がいた。この人の、この詩で、まだ子どもだった私は、言葉で絵画を描けることを知った。

 

 

静かな焔 八木重吉

 ひとつの 木に

 ひとつの 影

 木は

 しずかな ほのお



木の生命の、ふくらみを描写した言葉の凄み。行間から、どこまでも透明な静寂がきりりと立ち上がってくる。
あらゆる情景を言葉に置き換えられたらいいのになあと、いつも思う。