言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

して返したこと

もう20年以上も前、関東のとある山里で「内観」を受けたことがあった。仏教でいう「身調べ」の流れを汲み、少年院や刑務所の一部でも採用されている仏教修養の一つである。

道に迷っていた時期でもあった。その頃ちょうど、尊敬するジャーナリストのAさんも体験したと聞き、それでは自分もと1週間の休みをとって、Aさんと同じ場所に向かった。

早朝から深夜まで畳半分の面積を与えられ、目の前と左右を屏風で仕切った狭い空間で1日14時間、1週間、ひたすら瞑想をする。食事もそこに運ばれ、その場で食す。

1時間か2時間に一度「身調べ」の人が来て屏風を開け、これまで身近な人──例えば両親に「してもらったこと」「迷惑を掛けたこと」「して返したこと」、この3点だけを聞き取っていく。身調べの人は一切言葉を発せず、傾聴するのみである。

最初の3日間は半畳の空間で身動き一つできず、気が狂いそうになる。「来るんじゃなかった」と後悔ばかり。
それを過ぎると、食事も睡眠もそこでとれるようになり、畳半分の広さがあれば、十分生きていけると、心底、思えてくる。最後に近くなると、母親の胎内にいるかのような心地よさを覚えるまでになった。


母親に「してもらったこと」。4日目あたりから、まるで洪水のように思い浮かんでくきた。

 

お乳を飲ませてもらったこと。おそらくは数千回、汚いおしめを取り替えてもらったこと。病気で発作が起きたときには、自分を腕に抱え、裸足のまま病院に走ってくれたこと。1日3回の食事として計算すると、高校を卒業する18年間で2万回近く。2万回の皿洗い。洗濯、掃除、内職…、「迷惑をかけたこと」も、あれもこれも、あらゆる記憶が映像となってよみがえる。

最後の2日間は、悔しさあり、情けなさあり、ありがたさありで、涙があふれてしようがなかった…という希有な体験であった。

最後の日。
トイレに立って、ふと外の庭に目をやると、無数に咲く花のなかの2輪だけが、自分の方を向いて、ものすごい振動で信号のようなものを送ってくるのを感じた。言葉としてではなかったが、その振動は確かに、

「生きなさい」

というメッセージとして、ジリジリと強く震えて、その波動が胸をこじ開けるようにして身体に入り込んでくる。
極限状態に置かれた人間の見る幻覚症状といってしまえば、それまでの話だが、仏教やヨーガの修行者はこんなふうに、目には見えない自然界のメッセージを受け止めているのかもしれない。

愕然としたのは「して返したこと」の圧倒的な少なさ。いまこの瞬間も、私たちはなにかに支えられ、生かされている。こんな当たり前のことに気づかず、生きてきた。ほんの少し経済が豊かになり、生活の勝利者になったつもりであった。与えてもらうばかりで、身近な人に「お返し」もできないままの自分。敗けたな、出直し、という情けないだけの話。