言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

いくつかの場面

昼休みは、ラジオ。
どんなに静かな語りでも、人の声はやがて頭が痛くなる。

 

音楽がいい。
演歌であろうが、歌謡曲であろうが、そのまま流していても気にならない。
のんびりとしたこの時間は、
一日のなかでも貴重なリラックスタイム。

河島英五の曲が流れていた。

 

特別にファンでもないのだけれど、好きな曲目が2つだけある。
「生きてりゃいいさ」と「いくつかの場面」。


今日は「いくつかの場面」。


昔のことだ。
インドのとある小さな街で、シタールを習ったことがあった。
1カ月ほど通って、今日で最後というその日。
「おまえ、カマシマという日本人の歌手を知っているか」
と先生が尋ねる。


顔が長く、髪が肩まで伸びていて、
だみ声の大柄な男だったという。
前日まで教室に通ってきていたのだそうだ。


帰国して、ある日のこと。
テレビで河島英五が、この教室のことを語っていたのを見て初めて、気がついた。
カマシマではなく、カワシマだった。


いくつかの場面があった
まぶたを閉じれば──♪

──まぶたを閉じれば
数々の思い出が胸をあつくよぎる
そしていつも心を離れない
いく人かの人達がいた ♪

──出来るならもう一度
僕のまわりに集まって来て
やさしく肩たたきあい抱きしめて欲しい ♪



旅の好きな人だった。
この人とだったら、
いつか、どこかの旅先で会える気がしていた。
それが叶わぬうちに、
この世界のどこよりはるか遠くに、旅立ってしまった。

天国に旅立つ前に、一度だけでいい。
大好きな人たちと、やさしく肩をたたきあうことができたら
どんなにか幸せだろう。