言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

春の父

12月から厳寒の日が延々とつづく北海道でも、
3月に入ると急に陽射しがやわらかくなって
そこらの雪もパウダーから湿り気を含んだベタ雪へと変わる。
それまで飽きるほど眺めてきた鉛色の空が
淡いパステルの色彩をほんの少しだけ湛え、
空気の質感までがとろりとしてくると、いよいよ、春の訪れ。

「スキーに行く」

ある日曜日。父の言葉に、耳を疑った。
小学校3年生のときのことだ。
それまで、スキーに連れて行ってくれたことなどなかった父が、
何を思ったのか、誘っている。
父はスキーをするような人間ではなく、
ただ「おまえの滑るところを見ていてやる」というのだった。

すぐに、茶色のアノラックを身につけ
物置小屋からスキーを引っぱり出し、颯爽と小さな肩に担いだ。
父は、晴れ上がった空を気持ちよさそうに眺めながら
黒い長靴でキュッキュッと雪を踏み鳴らし
タバコをくゆらせ、私の前をゆっくりと歩いていく。

家から10分ほどで着く米倉山には、誰もいなかった。
数日前か、誰かが滑ったスキーの跡がかすかにあって、
その跡も急に強さを増した陽射しで、だらしなく溶けている。

「滑ってみろ」

うん、といって
私は麓でスキーを履いて、逆ハの字を描きながら、山を登っていった。
すうーっと滑り降りても、ものの3分の低い山である。
麓に降りると、チラッとこちらを振り向くだけで
父は山の斜面に背を向けたまま、
町を見下ろし、タバコばかりふかしていた。

へたくそな回転の真似をしても、
何の関心もしめさず、黙って空を見あげている。
せっせと山に登って、すうっと降りる。
これを5回ほど繰り返し、さすがに飽きてきた。

「もういいのか。じゃ、帰ろう」

この間、30分ほど。
帰り路も、父は無言のまま私の前を歩き、
私はといえば重いスキーを担いで
ハアハアいいながら父のあとを追いかけていった。


山を降りるとき、汗だくの頬を、なまあたたかい風が撫でた。
遠くに見えるズリ山の上にひろがる空が
青いインクをこぼしたような濃紺に輝き、
清冽なオゾンをたっぷり孕んだ風が、白い雲を自由に泳がせていた。
目の前には、父の背中があった。

3月3日。
この日付をはっきりと覚えている。

父とともに春を感じた日。
だから、私のなかでの冬は3月2日で終わり、3月3日からは春。
こんな暦が自分のなかに在る。