言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

ドスとチッチと卒業式

卒業式。
中学生とはいえ、卒業前からその筋の世界に入り
特攻服のような姿で出席する先輩たちも少なくなかった。

炭鉱町特有の社会の序列があった。
裏の社会の組織や人間たちも
表舞台で堂々とビジネスのできた時代。
彼らの卒業式は同時に
その道の入学式を兼ね、大半が腹にドスを忍ばせ式に出た。

かといって、そうした先輩たちの多くは
素人筋には決して手を出さないという、
その世界の仁義を頑なに守っていた。
私たちでさえ「そのドス見せてよ」と
腹巻きに忍ばせたドスを
教室で気軽に見せてもらっていたのである。

中二になり、やがて自分たちが卒業する頃になると
そうした子どもも次第に少なくなった。しかし、
卒業と同時に裏の社会に吸い込まれていく友人は、何人かはいたのである。


チッチもその一人。
色が白くてパッチリ目だが、背の小さなことが悩みだった。
勉強はお世辞にもできず、
チビのくせしてバスケットもバレーも上手。

「職場」は表面上こそ「テキ屋」を装っているものの、町では誰もが知る極道だった。
卒業式の前から「俺がドス持ったら、見せてやる」
と、大きな目をパチクリさせながら「夢」を語っていた。

チッチと再会したのは、
中学を卒業して何年目くらいのことだったろうか。
帰省中、街なかで偶然に会った。


小柄な体型と大きな目、その色の白さで
すぐにチッチとわかった。
が、眼光は鋭く、頭は角刈り。紫色の特攻服のような服を着て
肩で風を切りながら歩いていたチッチはすでに
堅気の人間ではなかった。

再会を祝して、2人で酒を飲むことになった。
居酒屋には入らなかった。
いい店を知らないこともあったが、
チッチにとっては
そこらの店でチンピラともめ事を起こすことが、
何より避けたいことだった。
考え抜いたあげく、私たちは
郊外にある健康センターのような施設の大食堂で飲むことにした。
浴場もあって広間もある、その隅にある座敷の食堂だ。

「今日も、ドス持ってるのか」と尋ねると、
チッチは大きな目で「下を見ろ」と合図をし
腹巻きからそれをゆっくりと取り出し、テーブルの下で私に触れさせた。
長さ30センチほどのドスは
木の鞘におさまって、見た目よりはずっしりと重かった。
顎が「抜いて見ろ」といっている。
鞘からドスを抜き、テーブルの下で右手に持ってみた。
光が遮られた薄暗闇のなかで、
短く鋭利な刃が、白くきれいな光を放っていた。

飲み始めて間もなく、チッチがトイレに立った。
しかし、20分たち、30分たっても戻ってこない。
廊下やロビーでチンピラに因縁でもつけられたら大変と思い、
廊下やトイレを探し回った。


トイレに行くと、大便用の扉が開いているのが目に入った。
扉を開けると、
便器の脇に倒れるようにして、チッチが寝入っている。
吐いたあとがあった。ビール大瓶1本で、酔いつぶれてしまったのだ。

小柄なチッチを抱えることは、難しくなかった。
肩を担いで食堂へと戻り、
目が覚めるまで待つことに決めた。
酒を飲む気力はもうなかった。財布の金も尽きていた。
小一時間でチッチが目を覚まし、
私たちは二人でふらつきながら、街まで戻っていった。

「ヤクザが刺された」という話などニュースにもならなかった、昭和40年代の炭鉱町。

チッチがいまも生きているかどうかは、知らない。
卒業式が近くなるこの季節、思い出すのは、
チッチの吐いたヘドと、あのときのドスの怖い感触、ざわざわ、どくどくと脈打つような、やりきれぬ思いだけ。