言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

馬。

小学校までの通学路は、車一台がやっと通れるほどの道幅で、かといってまだ車の姿はほとんどなく、夏は馬車、冬は馬橇がたまにそこを通るだけだった。低学年の子どもたちは、荷を引いた馬が来ると「おじさん、いいかい」と一声かけて荷台に飛び乗り、馬の進行方向とは逆の方角、つまりは後ろ向きになって腰掛け、短い足をだらんと垂らし、つかの間のドライブを楽しむのである。

馬は、のんびりと歩きながら、時折「じょおぅ」という大きな音をたてて小便をしたり、素知らぬ振りをして糞をした。馬糞は大人の拳ほどの大きさで、それが10も20も重なり、荷台に座っている子どもたちの真下を過ぎていく。その瞬間だけは「くせー」といって鼻をつまむが、ほんわか湯気を立てている糞の塊を汚いと思ったことは、あまりない。
馬が進むに連れて、ぬかるんだ舗道には、車輪の跡がずうっと続いていく。冬には真っ直ぐな2本の橇の跡と、学生帽ほどの直径をした丸い蹄の跡が、いくつも雪の道に刻まれる。子どもたちは「新しい道!」といって、それを見て歓喜の声を上げたりした。

ある年の夏。
町を流れる川が氾濫し、町の中心部が大水害に見舞われた。小学校は高台にあって難を逃れたが、雨が小降りになった頃を見計らい、数人の悪ガキたちが、近くの橋まで川の様子を見に出かけていった。
川といっても一級河川で、幅は数十メートルもある。川は荒れ狂っていた。いつもより数メートルは高い水位で、凄いスピードで流れる濁流は初めて見るものだった。丸太や家の屋根、農具や家具が茶色い水に乗って、欄干から下を覗く子どもたちのほんの数メートル先を通り抜けていった。

アベ君が「ああっ」と小さな声で叫んだ次の瞬間だった。渦を巻いた濁流から、苦しそうに長い首だけを出した一頭の馬が流れてきた。
馬はまだ生きていた。キンちゃんがいった。「アカだ、アカだ」。いつも、私たちの荷台を引いてくれた、あの馬であった。
アカは大きな目でぼくたちをぎっと睨み、セイセイという激しい息が、はっきりと聞こえてきた。そして、あっという間に、橋の真下を流れていった。息をひそめて下流の方角を見たとき、馬の姿は消えていた。

あの水害を境にして、馬車も馬橇も、次第に姿を消していった。たまに見かけることはあっても、子どもたちはもう、荷台に乗ることはしなくなった。
時折、道で乾いた馬糞を見かけると、悪ガキたちは誰ともなしに「アカ、やっぱり死んだのかな」とつぶやいては、みんな揃って、はあ、とため息をついた。