言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

フリーダ、夢は描かない

肉体は真っ二つに裂けている。身体を支える石柱は、いまにも崩れそうだ。
裂けた肉体をつなぎ止めるのは金属製のコルセット。
背後に描かれた大地は切り裂かれ、頭上に広がる真っ青な空──。

 

フリーダ・カーロ、37歳の自画像「折れた背骨」である。
あまりに残酷なモチーフだが、
テレビの美術番組で初めてそれを見たとき、
鮮烈で、妖艶でもあるその美しさに圧倒され、脳裏に刻み込まれた。

 

思春期の多感な頃に、交通事故で10箇所以上を骨折し、
背骨の手術は47年の生涯で30回に及んだ。
肉体と精神の痛みに耐えつつ不屈の炎を燃やし続けた彼女が残したもの。
それが自画像だった。


彼女自身「私は、決して夢は描かなかった。私自身の現実を描いただけ」
と述べている。

以前、録画しておいた映画『 フリーダ(2002) FRIDA 』を観た。
繰り返し観ても、飽きない映画の一つ。


壁画の巨匠ディエゴ・リベラとの愛と苦悩の日々。
酒、タバコ、同性愛、不倫、共産主義、車椅子、モルヒネ注射…。
気が狂いそうな激痛を抱えてもなお
痛みの真ん中を突き抜けるようにして、自分と向き合った。


その姿勢は、自分の悲しみと対峙できないなら
人の悲しみにだって共感できはしない、
という強靱な自己肯定のパラドックスでもある。


微塵の嘘もない、炎のような生涯。
そんな人生に圧倒されながら
ひるがえって、自分といえば、昼寝に明け暮れた週末。