言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

正論と愛と味わい

〇日

車道は乾き始めているが、

舗道にはまだ20センチくらいの雪が積もったままだ。

 

昼下がり。

仕事に飽きて、階段に座って、ぼやんと外を眺めていた。

ちょうど小学生の下校時。

子どもたちは雪道を

むしろ歓びながら、長靴で足踏みしつつ

舗道に細い道をつくっていく。

二人並んで足踏みしても、大人一人分の歩幅程度。

 

反対側から、少し腰の曲がったおばあさんが歩いてきた。

子ども二人と鉢合わせ。

さあ、どうするのかなと思って様子を眺めていたら

車道側を歩いていた女の子が、

雪の深い部分に身体をよけて、おばあさんに道を譲った。

 

膝の下まで雪に埋もれ、

長靴のなかにも冷たい雪が入ったに違いない。

おばあさんは、ぺこりと頭を下げて

子どもたちのつくった道をまたヨタヨタと歩いていった。

 

 

〇日

この3年で眼の手術を2度した。

7割がた回復したが、すでに「」と『』、「ば」と「ぱ」

「.」と「,」などの判別が難しくなっている。校正はもう無理かもしれない。

 

無意識レベルで、見たくないことがたくさんあれば

視力が落ちることがある──という話を、

心理学の専門家に聞いたことがあった。

 

じゃあ、ベートーベンは音を聴きたくなかったから

耳が聞こえなくなったんでしょうかと尋ねたら、

あながちそれも

否定できないのだそうだ。

 

身体と心理はつながっている。

興味深い話であった。

自分がいちばん目を背けてきたことって何だろう。

 

 

〇日

白鳥がV字型の隊を組んで、事務所の上を飛んでいった。

すぐ近くに飛来する池がある。

クワォクワォクワォと、どこかうれしそうな声を出している。

そろそろ帰る準備だ。

 

白鳥は気温ではなく、

日射の角度を正確に読んで出発の日取りを決めるのだという。

春近しである。

 

 

〇日

施設の母の容態が悪くなり、公立の病院に入院。

1週間ほどで容態は落ち着いたが、A病院に転院させられる。

転院の諸手続きを終え

帰宅して一息ついたところに、施設の担当者から電話があった。

籍は残したままにしている。

「ここはアパートと同じなんですが(施設からの退去)どうされますか」

「また、戻ってこられるかもしれません」

「あの病院は、特養と同じです。入ったらみなさん、そこで…」

入居希望者はいくらでもいるのだろう。

お金は払うので、1カ月だけ様子をみさせてください、

もう少しだけ、籍を置いておいてほしいとお願いした。

 

 

〇日

公共放送で、討論番組を漠然と眺めていた。

何かを生み出すための討論のはずが、互いの否定・非難しか出てこない。

こんな大人たちの言葉を

垂れ流す公共放送の役割とは、と考えてしまう。

 

正論とは、道理は通っているが

人に遠く届かないせっかちさであるといった人がいた。

 

言い換えれば、

道理は通らないかもしれないが

人に届いていく緩やかさこそが、愛に近い。

 

正しいものを選り分けていくことで生じる、迷いや辛苦がある。

徒労と知りつつ、

その過程にすすんで身を置ける人は、

強くはないかもしれないが、味わい深く見える。