言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

津軽。

19歳の春。
津軽半島から下北半島まで、10日間ほど旅したことがあった。


記憶は定かではないが、
北海道の実家から函館までは急行列車で6時間あまり。
そこから連絡船で青森へ4時間。

 

青森に着いてからは鈍行列車やバスを乗り継いで
弘前五所川原、嶽、蟹田、小泊、深浦、
そして下北半島の恐山まで足を伸ばした。


高橋竹山の三味線や高木恭造の詩に描かれる「津軽」の原風景をこの目で確かめたかった。

まだ、夢見る少年だった。

津軽半島日本海に面した街の、小さな民宿に泊まったときのことだ。
深夜、闇の底を重機でえぐるような振動で眼が覚めた。


地震かと思ったが、海鳴りだった。


その震動はしかし海からではなく、
枕の下のそのまた下の地面の奥底から身体を揺さぶってくる。
体験したことのない音と振動に怯え、朝まで一睡もできなかった。



海鳴りに、高橋竹山の三味線の記憶が重なった。
津軽じょんから節(旧節・中節・新節)、
弥三郎節、津軽三下り、津軽よされ節、鯵ケ沢甚句、津軽あいや節。
頭の後方をバシッバシッと撥で叩かれたような音と響きと揺れ。
そんな幻聴のようなものと出会えただけも、津軽に来てよかったと思った。



津軽三味線。

激しいままに演奏する弾き手が評価を得がちだが
少し違う気がする。

 

竹山の三味線は、表面では激しさを装いつつも
実は音符には描けない低く重い奏音を
いくつも重ねて紡ぎ出し、次の瞬間、自らの撥でその音を抹殺してしまう。

 

身を削り取るかのようなこのマゾ的奏法が
音ではなく、音と音の「間」からさえ、ある種の振動をつくり
聴き手に海鳴りのような揺さぶりをかける。
激しさではなく、むしろ饒舌な静寂であり、生と死の連鎖の体現でもある。

コロナの前、日帰りで青森市を往復したことがあった。

 

駅の跨線橋から、港に係留されている八甲田丸が見えた。
この連絡船にも、昔、何度もお世話になった。黄色い帯で覚えている。


仕事を終え、駅までの数十分間、近くの市場や商店街を歩く。
路地裏には、昔の佇まいが残っている。
安っぽい昔の二級酒のようなバタ臭さが、
「オラ、生きてるぞ」とほくそ笑んでいるかのようでもある。
この日の仕事では、素敵な方々とお会いできた。
朝からちょっとしたことで落ち込んでいたが、この街と人に救われた。

時計は15時を回っていた。

 

青森駅15:35発の奥羽本線に乗り換え、
いっそ深浦あたりに行ってしまおうかと、本気で迷っていた。

 

 

 

※「小島一郎写真集成」 青森県立美術館 監修 

定価:本体3,800円+税 2009110 初版第1刷 20121210 初版第5B5変型判上製  244頁 写真 ダブルトーン178点 カラー6点 ISBN978-4-900997-23-3  装幀:間村俊一

 

 

 

「小島一郎写真集成」より《つがる市木造》1960年ころ 

小島一郎(1924-1964)。津軽平野の秋の田で日がな働く農夫たち、寒風吹き荒ぶ下北の浜辺の光景……。過酷な撮影行、傑出した造形感覚、独自の暗室技法によって、陰影際立つ鮮烈な写真へと定着させた。39歳の若さで急逝した写真家の短い生は闇ではなく光のようでもある。撮影の力量とは、機材の優劣だけではなく、暗室における現像技術の高さまで内包する。最後は、本人が映像と陰影を決めるのである。青森県立美術館には多数のオリジナルプリントや資料が収蔵されている。