言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

【海の上のピアニスト】=88鍵の「なぜ」

 

好きな映画の一つに「海の上のピアニスト」がある。
原題は「THE LEGEND OF 1900」。
好きな映画のベスト3に入る「ニュー・シネマ・パラダイス」と同じ
ジュゼッペ・トルナトーレ監督の作品だ。
音楽も同じエンニオ・モリコーネ
大西洋を航行する船の上で生れ、一度も船を下りなかったピアニスト「1900=ナインティーハンドレッド」の物語。


陸に「降りようとした」ことが、一度だけあった。
しかし、船の階段を半ばまで降りたところで、
大都会の威容を目にした彼は、
途中で立ち止まり、帽子を海に投げ捨て、再び階段を逆戻りする。
生涯、陸に降りることを拒否した瞬間だった。



いくつかの場面で、陸を知らない彼の世界が、哲学的な言葉で表現される。


「陸の人間は、WHYばかりだ。WHY、WHY…」


「あの大きな都市(まち)が、どこで終わるのか教えてほしい。
ぼくには、NO ENDにしか見えない」


「ピアノの鍵盤の数は88鍵と決まっているが、弾く方の人間は無限なのだ」

 

などなど。

結局、彼は最後まで陸に降りることを拒んで船にとどまり
スクラップとなる船とともに消えていく。

「終わりの見えない世界」に
降りるくらいなら、「この人生を降りる」ことを選ぶのだ。


台詞の大半は、同じバンド仲間の親友マックスによって語られる。

 

「いい物語があって、それを語る人がいるかぎり、人生、捨てたもんじゃない」


この言葉が、ピアノの音色とともに、いつまでも耳に響いて残る。


孤独な「1900」に全身で向き合い、マックスは彼に
この台詞を吐かせるほど
彼を受け容れようとする。そして最後は、彼の死をも受け容れる。

 



仕事でマレー半島とボルネオ島を一人で旅したことがあった。
名もない小さな町で、リキシャの老人に、こんなことをいわれたことがある。


「若いときの旅がなければ、老いての物語がない」


あとになって、有名な人の言葉と知った。
この映画を観てすぐに思い出したのが、この一言であった。


老人のいう「旅」は、ACTIONとしてのそれではなく、
この映画の主人公のように、内的な旅の深さを、いうのかもしれない。
そう考えるようになったのは、その旅から何年もたってからのことだ。



老いてもなお、人に語れるような「物語」があるか。
見たり、読んだり、聞いたりするだけで、分かったようなふりをするばかり。
いつまでたっても、何もかもが自分のなかで、熟成されないまま。

 

リキシャの老人は、そんな未熟さを見抜いていた。
限られた世界と時間のなかで、
内奥に向かって歩を進めてもなお、内側からWHYの雑音ばかりが聞こえてくる。