言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

「ASK」と「LISTEN」

〇日

10:00、A社。
撮影機材一式を持参したが、撮影はなし。
話だけうかがう。
ふだんから腕時計をしないので、
相手の背後にある壁掛け時計を時折確認し、60分きっかりで終了。
きちんと「聴く」ことができただろうか。

昔、先輩に、よくいわれたことがあった。

 

ASKではない、LISTENだ。

 

ASKは質問する側に誘導してしまう危険性があるが
LISTENは相手の意図に沿うこと、
つまり相手をそのまま受容することである、という。
対等な関係が生まれるよう話を聴けという意味だが、
全く先入観を持たずに話を聴くことは意外に難しい。


相手を受け容れようとする腹を括る姿勢そのものが、
相手への尊敬であると思ってきたが、いまもできそうで、できていない。

 


〇日
午後、女性建築士のBさん来所。午後のお茶っこタイム。
Bさんが帰ったあと
お土産にといただいた紙袋をそっと開けてみると、
ロッテのラミーチョコが入っていた。
胸の奥底から、クックックッと、
自分でも気持ちの悪い笑い声がこみ上げてくる。
どうして、ラミーチョコが好きなのを知っていたんだろう。


春は明治のストロベリーチョコ、
夏は明治のマカダミアナッツのチョコ、

秋と冬はロッテのバッカスチョコ、ラミーチョコ。
実は同じチョコでも、季節によって好みは微妙に変わる。
近くに好きなチョコのあるとき、自分でも、にやけているのが分かる。

 


〇日

夕刻、読みかけだったモームの「月と六ペンス」読了。
再再再読くらい。


メガネをはずし、本に顔にくっつけるようにして読む。
両眼の手術を終えて3年になるが、回復は7割くらい。

 

こうでもしないと文字が読めない。
パソコンのモニタに比べると、
本は発光していない分だけ、目が楽だ。


主人公のストリックランドのような生き方が夢だった。
いまも「妻子を捨ててパリに、そしてタヒチに…」のくだりに憧れるが
自分は彼のような天才ではないので、
そんなことをしたら「やっぱり、あの男、ただのアホだったねえ」
で終わってしまうのがオチ。

 


〇日

C町にあるお菓子屋さん、撮影。
知的なハンディキャップを持つ方々が働いている。
タマゴを溶き、粉を混ぜ、クリームをつくり、
シューやワッフル、クッキーを焼く。

どの製品も時間との勝負。
一つの仕事を終えたら、すぐに器や布巾を洗い、
焼き上がったものを団扇で冷まし、
冷ましたものは袋に入れて次々にラベルを貼っていく。


みなさん、目は真剣。手も足も、少しも休まることはない。

無意識のうちに、手ばかり撮っていた。
水仕事も多いその手は、みんな一様にきれいで、赤い。


D子さんという女性に話しかけてみた。
「どんな仕事も、こなせるんですね」
D子さんは恥ずかしそうに、小さな声で、こう答えてくれた。
段ボール箱は、1つしか持てません」



E子さんという女性に尋ねてみた。
「これ、何を作っているところですか」
E子さんは「せんべい!」と叫んで、ちょっと照れながら
厨房の奥の方に走って行ってしまった。

 

両眼を失明された方に、こんな話をうかがったことがある。

────見えないからといって気を抜くと、何もできない。
見えなくとも、まぶたを無理やり開くようにすると、大抵の仕事はできる。
対象を「聴く」んだ、俺たちは。