言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

ツララ

お日さまの光が、日一日と力を増して屋根の雪をとかし始めると
それまでカチカチに凍って軒にずらり並んだツララも、ゆっくりととけ始める。


それぞれの矛先には、小さくかわいい滴。
光がその一粒に集まると、どんな宝石よりもきれい見えるから不思議だ。


ツララは輪郭から痩せていき、
やがて軒下に溜まった雪の上に、根っこの部分と一緒に落ちて、
ズタンという鈍い音を出す。
このズタンという音こそ、春の訪れを告げる音である。


忘れもしない、小学3年生の3月のこと。
担任だったカズオ先生は、
生涯でたった一人、心の底から好きになった先生だった。
ずんぐりむっくりの大柄な身体に、太い眉と大きな目と口、濃いヒゲ。
真っ黒な髪はオールバックでまとめられ、いつもポマードでてらてらと光っていた。

 

アコーディオンの名手でもあった。
それを弾くときのカズオ先生は、巨体を大きく左右に揺らし、曲の変調のたびに、首をクックッと左右に傾け、
その都度、光った前髪が額に落ちて、ゆらゆらと揺らした。
全身で、弾いて、歌う。
カズオ先生のその気迫は、クラスのみんなを惹き付けた。



3月は、別れの季節でもある。
炭坑町には翳りが見え始め、この年の終業の日にも、
クラスで2人の転校が決まっていた。


夕張や三笠といった北海道内の他の炭坑に行く家族もいたし、
遠い九州の炭坑に、淡い夢を抱いて移住する家族も少なくなかった。

 

学校では転校生が出るたびに、クラス全員で駅まで見送りに行き、
転校する子どもの多いときには
鼓笛隊がホームに並んで校歌を演奏し、家族の乗った汽車を送り出した。

その日、カズオ先生は、クラスのみんなで駅まで送りに行くその前に、
教室でアコーディオンを弾いてくれたのだった。


最初の曲は、覚えていない。
聴いたこともない大人の音楽で、カズオ先生はいつにも増して
身体を左右に揺すり、教室の天井をじっと眺めながら、
伴奏に合わせ、大きな声で歌い始めた。


廊下はもちろん、離れた体育館まで届くようなその大声に
クラスのみんなは圧倒され、
隣に座ったスケゾウなどは、口をぽかんと開けたまま、
音楽に合わせて身体を左右に揺らしていた。

歌が終わって、カズオ先生は「さあ、今度はみんなで歌おう」といって
「手のひらに太陽を」を弾き出した。


この歌は好きじゃなかったけれど、みんなに合わせて、
怒鳴るくらいの大きな声で「ぼーくらはみんな、いーきているっ!」と
半ば、やけっぱちになって歌ったのを覚えている。


カズオ先生の身体の揺れは次第に小さくなって、
前髪も揺れなくなっていたが
アコーディオンの音だけは大きく唸って、
その歌声も、いつしか怒鳴り声に近くなっていた。

あっ、と思ってカズオ先生の顔をよく見たら、
大きな両目から、
小指の先ほどもある涙がポタッポタッと落ちていた。


涙は頬を伝わる間もなく、
アコーディオンやそれを弾く手の上に振り落ちて、
身体の揺れによっては床にまで散らばっていった。


ミオちゃんが、アンアンとしゃくり始めた。
転校する2人は、どこかバツが悪そうにへらへらと笑っていたが
やがてクラスのみんなもハナをすすり始めた。


歌が終わっても、カズオ先生はアコーディオンを持ったまま動かなかった。
きつく閉じたまぶたの周囲が、涙でびしょびしょになって、
額には怒ったときのような縦の皺が数本くっりと浮かんでいた。

木窓の端から端まで並んだ見えた
痩せたツララが滴を湛えて、その一粒一粒に、
春の光がきらきらっと光って見えた。


光の束の向こうに、トロッコがゆっくりと昇るズリ山が見えた。
隣のスケゾウが「ツララも、泣いてる」といった。


カズオ先生はその翌年に、どこかに転勤していった。
スケゾウはぼくたちが卒業する直前に、
とうさんの炭坑(ヤマ)がやばくなって、家族で内地に引っ越していった。


とろり溶けていくツララを眺めるたび、
死ぬまでにもう一度、「生きーているから かなしんだっ!」と
この歌を歌うことがあるかしら。


ちょっと恥ずかしいけど、誰も見ていないどこかで、
あの日のカズオ先生やスケゾウのように
身体を揺らしながら、思い切り、歌ってみたい。