言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

映画「最初の人間」「愛、アムール」「偽りなき者」。

〇日 

ライブラリー(以下同)から、古い作品ばかりを取り出して、見ている。この日の午前は「最初の人間」。ノーベル文学賞作家アルベール・カミュの遺稿で、没後30年以上を経て発見され、未完のまま1994年に出版された「最初の人間」を映画化。生まれ育ったアルジェリアの美しい街や海。貧しく、文字も読めなかった祖母や母との思い出。「時代を作った人でなく、時代を生きた人を描くのが、物書きの役目」との言葉が深い。全編、追憶のシーンが宗教画のような映像美で描かれる。「異邦人」の再再再読中なので、どこか懐かしい既視感で満たされる。

 

 

 

〇日 

原題はただの「Amour」の、「愛、アムール」。映画館で見たときは、チケットを売る窓口で「あのう、あい、あむーる、ください」っていうのが恥ずかしかった。うしろにたくさん人がいた。ミヒャエル・ハネケ監督が、前作「白いリボン」(2009)に続き、カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞、第85回アカデミー賞外国語映画賞まで受賞したヒューマンドラマ。「白いリボン」は自分の中での同年のベストワンの映画であった。

妻が病に倒れたことで、穏やかだった老夫婦の日常が急激に変化していく。1シーン・1カットの長回しが、これでもか、というほどに重々しく、強引なまでに見る者の気持ちに入り込む。BGMはなし。ドキュメンタリーのような手法で、一切の情感や安易な起伏を排し、情景だけを切り取って表現した展開は前作同様、冷徹に多様な解釈を求めてくる。徐々に認知症が深刻さを増し、身体も心も破壊され、消滅に向かうアンヌを演じたエマニュエル・リヴァの演技が、同じ病を患った亡き母と重なって、痛い。

 



〇日

この日は「偽りなき者」。いつか書いた「光のほうへ」と同じ、トマス・ビンターベア監督作品。前作は、つらい過去を抱えたまま、別々に暮らしていた兄弟が、母親の死をきっかけに再会し、過去や家族、現在と向き合う物語。今作品は、幼女の作り話が原因となって、性犯罪者の烙印(らくいん)を押された男が憎悪にさらされながら、自らの尊厳を守り抜く姿を描く。両作品とも子どもの目線が伏線。人間と社会、大人と子ども、大人と大人、人間と神。対極で相対する関係を闇の部分からあぶり出し、世界でもっとも国民の幸福度が高いとされる、デンマークの負の部分を隠すことなく伝えている。どんなに貧しい家、下層で生きる人の場にも、窓下を凝視すれば必ず温水ラジエーターが設置されている。この国の人権とは、いかなる立場で生きる人(犯罪者を含む)でも、劣悪な環境は与えないという基本に立つ。どこかの国の「基本的人権」は、遠く及ばない。