言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

木漏れ日。

晴天。
朝、目覚めて、今日は、森に行こうと決める。
何の意味もなく、行きたくなった。

自宅からクルマで15分ほどのところにある、森林公園。
とてつもなく広いわけでもなく、こじんまりし過ぎてもいない。
子どもたちがまだ幼いころ、
水筒を持って出掛け、しばらく遊んだりした。


70mm/F2.4レンズを装着し、森に入る。
ネイチャーセンターに抜ける小径は
空を覆う樹木の枝葉と
鳥たちのさえずりに包まれ、すれ違う人もいない。

木の名前は何一つ知らないので、自分で勝手に
ブナはやっぱり太いなあとか、カエデはおしゃれでいいなあとか、
アカマツはこの赤さがいいんだよなあとか、
クスノキは楠木さんのもとになった木だよなあとか、
適当なことをブツブツいいながら、シャッターを切る。

フィトンチッド(Phytoncide)があるのかないのか
全然わからないが、
身体の奥まで緑の空気が入り込んでくるのがわかる。

疲れたら、そこらの大き目の石ころに座って、
枝を渡るかすかな風の音に耳を澄ます。
葉擦れの音。
耳からではなく、肌から直接、身体に入ってくるみたい。
















木洩れ日。
この言葉を編んだ人は、きっと詩人。
ちなみに、見渡す限りの緑の影を「萬緑」(ばんりょく)といい、
木陰を「緑陰」(りょくいん)、
夏の日の午後の日陰を「片陰」(かたかげ)という。
日本語は自然の表情、移ろいを見事に表わす。