言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

異文化=border。

夕刻、ピンポーン。ドアを開けると、D社のE子さん。「どうぞ、お茶っこでも」としばしの喫茶去。海外留学の経験を持つE子さんの話を聴くのはいつも楽しみ。今日は、アラブやヘブライの文化と日本の文化との対比について、平和、戦争への価値観の相違などの話をうかがった。自分より20歳近く若いが、すごいなあ。


「旅ができない若者が多くなっています」とE子さん。複数での旅、あらかじめアレンジされた行程を歩くことは「旅ではなく、移動です」。確かに、このことは、異郷で一人、生きるか死ぬかの経験をした者でないと理解できないことかもしれない。E子さんは、言葉も文化も異なる地で一人、宗教学を学び、5年を過ごしたのだった。

 

 

F大学に留学したベトナム人のGさん一家を、長らく取材させてもらったことがあった。その間、いつもは気丈なGさんが二度、涙を流したことがあった。一つは、リンゴの皮をむくとき、日本人とは逆にナイフを動かすことを友人たちに笑われたこと。もう一つは魚醤(ヌクマム)を紹介した際「臭い」といわれたこと。どちらも、悪気のなさはわかっていたが、文化の違いを軽い気持ちで嘲笑する日本人に「心底腹が立った」。そして、そのときほど「異国の地で生きる孤独を感じたことはなかった」と告白した。


「自分が知らぬこと、自分の価値観と異なることに、なぜ疑問を抱こうとしないのか」「人間は同じでも平等でもないし、いまこの瞬間も、世界は少しも平和ではない」──こうしたことが、お会いするたび、話の結びになった。

 

 

大切な何かを求めたり、知ろうとすることは命がけの作業だ。自分の中に存在しないものを認め、探し、求める。国と国、文化と文化、人と人、男と女、親と子。私たちは「border=境界線」を超えようと必死で接近を試みるが(恥ずかしながら私の場合は)「border」に近づけば近づくほど、見えてきたのは、より鮮明な「border」でしかなかった。


Gさんはいう。「抱き続けなくてはならないのは自身と対象に対する疑問の『?』です。疑問を持った数だけ、得られる『答え』の数は多くなるでしょ。それってお得なことでしょ」。