言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

視野

何年も前を通っていながら、2階建てだと思っていた建物が
ある日突然3階建てだと気づいて
自分の視野の狭さに、愕然とするようなことがある。

知人に紹介されて通い続けた「床屋」のつもりが、
半年近くもたったある日、店を出て初めて「美容院」であることにびっくりしたり、
おろし立てのシャツにサイズを表す「L L L L L L L」の長いシールをデザインの一部と勘違いして、それをつけたまま仕事をしていたり。

いつか京都に出張の際、招待された
一見さんお断りという老舗のステーキ屋さんでも、大失態をやらかした。
米国の歴代大統領やハリウッドの俳優たちがお忍びで訪れるという、隠れ屋的な超高級店である。
ゆったりと厨房からカウンターにあらわれたおかみさんが、
きれいな京都弁で「ヒレにしましょか、 サロインにしましょか」
と聞いてくれたのに、
私はというと、数秒間じっと考えたあげく「肉、いりません」と答えてしまった。

その日は、魚の気分だった。

 

店内の空気が、一瞬で、凍りついた。この店に招待してくれたAさんは「だ、だ、大丈夫です」といってくれたが、その意味がわからない。
隣に座ったB 教授も慌てふためき「やっぱり美味しそうだから、肉お願いした方がいいよ」と耳打ちをする。


どうしてみんな、肉にこだわるんだろうと不思議でしょうがなく、
いつまでたっても場を読めないままの私に向かって
B教授はトドメを刺した。「君ね、ここステーキのお店なんですから」。


店に入る前からカメラを構え、石畳や看板やら格子の玄関を撮影しているうちに、「ステーキ」と描かれた小さな提灯が目に留まらなかった。
その店構えから、老舗の京料理の店かなんかだと勘違いしていたのだ。


五感を駆使して、その場からあらゆる情報を拾え。
スタッフたちには、いつも、偉そうに伝えてきた。

 

きのうは、終日、セーターのおなかのあたりに、米粒を1つ付けたまま過ごしていた。