言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

このように生きた。

〇日

夢の記録をとるようになって20年以上になる。全ての夢を記録しているわけではなく、深い記憶の底からえぐり出されたような、印象深い夢を見たときにだけ、目覚めてすぐにメモをする。

そんな夢を見たときには、現実の世界に戻ってくるのがいやで、また夢の世界に戻ろうと目を閉じる。子どものころから、そんなふうにしてきた。

懐かしく、切なく、いとおしい思いが数日続くこともある。記録をつなげていくと、過去に起こった出来事や岐路に立たされたときの、重要なきっかけになっていることに気づく。

夢が現実となり、現実がまた夢と結びつく。夢と夢とを結んでいくと、必ず一つの線のうえに自分が並んでいる。

癒されるとはまた異なる感覚。夢の世界は、紛れもない、自分にとってのもう一つの現実だ。夢を見て抱いた感覚が大きなエネルギーとなることもあるし、その反対もある。

 

 

〇日

夕刻の便で札幌。ほんとうは午前の便だったが「天気調査中」の知らせが入り、同マークのついていない夕刻の便に変更した。予約の急な変更はやるべき作業が多々あって焦る。しかし、結局、同便も「引き返す可能性あり」という条件付きで出発。でも、着いた。

 

翌日、早々に仕事を済ませ、小樽まで足を延ばす。数えきれないほど訪れた街だが、ここに来ると落ち着く。

駅から運河をめざし、堺町の古い通りをゆっくりと抜け、花園、日銀通り、都通りを経て駅に戻る。観光客だらけなので、何も買わない、何も食べない。この街の空気を吸って歩くのみ。

 

 

3日目。午前、道立近代美術館に向かうが、作品整理期間で閉館中。ここには叔父の作品も収蔵されている。残念。で、隣にある三岸好太郎美術館に寄ることに。昔、札幌で勤めた会社から徒歩1分の建物が同美術館だった。1983年、好太郎のアトリエのイメージを設計にとりいれた新館を現在地に建設し移転している。当時、昼休みなどに何度か訪れたが、今回は改めて、彼の才能に驚愕しつつ見入ってしまう。妻の節子が、好太郎との生活は死を意識するほど過酷だったが、その才能には敬服せざるをえなかった、という話を思い出す。

 

www.artagenda.jp

 

 

4日目。早朝まで隣室の若者たちが大騒ぎして眠れず、ひどい頭痛。何度も泊っているホテルだが、こんなのは初めて。少し熱っぽく、この日の移動はキャンセル。フロントに聞くと、この日も若者たちが隣室に泊まるという。部屋替えを申し出るが、満室。やむなく、午前のうちにチェックインできる近くのホテルに移動する。

5日目。朝、Jアラート。札幌駅では、新千歳空港に向かう電車がストップし、高速道路も通行止め。空港バスも大混乱だった。11時、ようやく電車が動き出し、混雑の中、なんとか空港に到着する。念のため、JALの運行状況を確認するが大丈夫の様子。わずか数分後、同便が強風のため欠航…とのアナウンス。すぐに翌日便に振り替え、札幌に戻る。電車の中で、前日と同じホテルを予約。

6日目。空港に着いてすぐに、また「天候調査中」のアナウンス。どうにでもなれと搭乗口で待つ。なんとか飛んだ。揺れた。でも、家に、着いた。

 

〇日

A紙のB記者とお会いする。静かで思慮深く、記者にありがちな傲慢さが微塵もない。終始、やさしい笑顔に安堵しつつ2時間。

夕刻、仕事が片付き、事務所で久々に音楽を聴く。自宅の居間にはそれなりのオーディオがあるが、事務所にはパソコンと古いトランジスタラジオのみ。仕事中は一切の「音」は御法度だ。最近の(事務所で聴く)お気に入りは、ちあきなおみ山本潤子。「黄昏のビギン」と「海を見ていた午後」を何度も繰り返し、聴く。潤子さんの歌が聴きたい。

 

〇日

Cさんが亡くなって1年になる。この事務所に来て私に「遺言」を託してくれたあの日、Cさんが腰かけていた青い椅子に座ってみる。

はにかんだ顔で「おっ」といって、この玄関ドアを開けてくれる日が、また来る気がしてならない。

前年はD先生が逝去され、その前の年はE子さんが亡くなった。いずれも思いがけぬ、整合性のない死であった(死というものが、そういうものだとしても)。

死を覚悟したCさんに向かって「許せない」と意味のない反論をしたのも、きのうのことのようである。

 

見えないものが載っている机には、

時の埃のように、

語られなかったことばが転がっている。

 

たとえば、地に腐ってゆく果物のように、

存在というのは、とても静かなものだと思う。

 

人は、誰も生きない、

このように生きたかったというふうには。

どう生きようと、このように生きた。

誰だろうと、そうしか言えないのだ。

 

机の上に、草の花を置く。その花の色に、

やがて夕暮れの色がゆっくりとかさなってゆく。

※(「机のまえの時間 長田弘

 

 

〇日

駐車場の周りに、たくさんのタンポポ。毎年同じくらい咲いていたのだろうけれど、車を降りた途端に仕事モード全開。気がつかなかった。先日、何本か摘んで事務所の花瓶に飾ってみた。すぐに枯れた。根っこや葉っぱがないとだめらしい。

綿毛がふわふわ飛び出す頃だ。どこまで飛んでいくんだろうと、ずっと不思議に思っていた。綿毛が飛んで坊主になっても、タンポポの花は必ずまた同じ場所に咲くのだそうだ。

花言葉は「また会える日までのさようなら」。種は旅に出ても、根っこは変わらないなんて、素敵な花だと思う。

 

タンポポ=Dandelion。きざきざの葉っぱがライオンの歯に似ていることから「ダンディライオン」になったとか。