言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

いのちの宣言=祈り。

黒澤明の映画のなかで、忘れられない作品の一つに「赤ひげ」がある。何度観ても、あの「井戸」の場面で泣かされる。

 

───ある日、赤ひげの養生所に、毒を飲んだ一家心中が運び込まれる。貧しい長屋の長坊の一家だ。

幸い、長坊と母親だけは息があった。その長坊が「泥棒して…つかまっちまった。乞食すりゃあよかったんだ」と、息も絶え絶え話す。

治療にあたる赤ひげの脇で、呆然と立ちすくんでいた賄いの女たちが、ふと思いついて一斉に外に飛び出していく。そして、養正所の前の井戸の中に向かって「長坊〜! 長坊〜!」と大声で叫ぶのである。 

地の底に続く井戸の中に向かって叫べば、死にかかっている者でさえ呼び戻せる。そんな言い伝えがあった。「長坊! 長坊!」。

しばらくして、女たちの叫びを聞きながら、赤ひげが弟子に向かっていう。「いま、全部毒を吐いた。もう、大丈夫だ。皆に、いってやれ」。

 

こんな感じの場面だった。

観る者の気持ちを揺さぶるのは、それまで立ちすくんでいただけの女たちが、何もできずにいるのはなく「祈る」行動に移ることだ。

治療もできず、ふれることも、声をかけることもできない。

でも、外に飛び出し、全身を震わせながら暗い井戸の底に向かって、大声で繰り返し叫び始める。いのちの限りを尽くすように、叫ぶ。

非科学的で、効果があるとも思えぬこの行動に、なぜ泣けるのか。それだけ、祈りは人間にとっての原初的な行為といえるのかもしれない。

 

中学生のころのことだ。仏壇に向かって手を合わせることなど見たこともない頑固な祖父が、じっと目を閉じ、合わせたその両手を震わせながら、必死に拝んでいる姿を見たことがあった。

祖父にとっては次男にあたる(私の)叔父が一時、行方不明になるという、ちょっとした事件があった(後日、無事に発見された)。祖父はなすすべもなく、長い時間、仏壇の前に座り、身じろもぎせず、手を合わせていたのである。

少し離れたところで様子を見ていた私の後ろから、すすり泣く声が聞こえてきた。母だった。あとで「どうして泣いていたの」と尋ねると、母は「祈るってのは、すごいもんだ。美しいものだ」といったことを覚えている。あのときの光景が「赤ひげ」の場面に重なり、いまも思い出される。

 

精神科医名越康文さんは「祈りとは、自分の激しい妄想から自分を隔離すること」と語っていた。ネガティブな思いにとらわれ、こころの身動きがとれなくなってしまったとき、無力感から脱し「再び我が身にエネルギーを宿すために祈りが必要」というのである。

その祈りは「とりあえず、祈ることしかできない」という弱気な祈りではなく、全身に響き渡るような力強い祈りにすることで「なにかが動き出す」と述べている。

思いの強さで何かを引き寄せるともいえそうだが、むしろ、自己否定や邪心を消すために祈りがあり、そうしたポジションに到達して初めて、自分や他者のつながりが生まれる、という解釈もできる。

 

「私たちが思ったり考えたりしていることが現実世界を作っているということに私たちは気がついていない。人が作ったものであれば、考えたものが形になっていることが理解できますが、山川草木のような自然界の事物も心のなかの観念が具現化したものだと推測ができます。なんの目的も意志もはたらかないで自然界の事物ができたとは考えにくい。祈りには現実的な効力がある」(京都府立医科大学名誉教授 棚次正和さん)

 

「祈りという言葉の語源は『生宣(いの)り』で『い』は生命力『のり』は宣言を意味する。だから『いのり』はいのちの宣言なのだ」(筑波大学名誉教授 村上和雄さん)

 

いのちの波動を、言霊として響かせる。何かをくださいといった取引のような祈りではなく、おおらかに、堂々と強い意志を持って祈る。人も自然も、全てはつながっていると信じて、祈る。

残念ながら、自分にはそうして得られる効果の根拠を示すことはできない。が、効果を得られずとも、あの日、母がいったように「祈るってのは、すごいもんだ。美しいものだ」と考えてしまう。

 

 

それでもなお、祈りに願いを込めたいときには、過去形か進行形で「Aさんはいま健康になりつつあります」といった具合に、すでに実現したイメージを思い浮かべつつ祈る。「なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう」(マルコの福音書11:23)。強く、正々堂々と祈ってみるのがいいようだ。

 

A町のBさんの病が全快し、一緒にカラオケに行くことができました。私はサザンの曲を5曲も歌いました。Bさんは、お得意の「しあわせのランプ(玉置浩二)」を歌いました。沁みました!

 

娘さんを亡くされたばかりのC市のD子さん。お二人が大好きだった加古隆のピアノを聴いて、D子さん、静かに、やさしく微笑んでいます。

 

お父さまの介護で忙殺されているE町のFさん。時間の制限と苦悩のなかで、かつてない力作が生まれつつあります。あなたはすごいアーティストです。

 

倒産してしまったG市のH社長。必ず復活して、素晴らしい工務店として生まれ変わります。またみんなで、笑顔で、あの店で飲むことができます。

 

お母さんのうつ病の再発に怯えるIさん。日々、快復に向かうお母さんの表情を見て、安心しています。また、一緒に旅行ができる日が近づいています。

 

お母さんを亡くし、哀しみに浸る間もなく仕事に励んできたJ子さん。あなたの明るさに周囲のみんなが癒され、あなた自身も、以前よりもずっときれいになりました。

 

がんの再発で、不安の渦中にあるKさん。あなたにとって、何一つ悪いことなど起きることはありません。少しの入院で全快し、これまで通り、素敵な笑顔を見せてくれます。

 

天国への階段を昇り始めた母さん。またいつか、必ず、あの公園の桜を見に行けます。自転車に乗っていきましょう。