言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

なにごとにもときあり。

ようやく揃ったゲラをパラパラとめくる。見出しの甘さ、写真の歪曲、デザインのほころび。厚さ2センチほどのゲラの束を、ジャリッと真ん中から引き裂いてしまいたい衝動にかられる。ほんとうの詰めは、これから。

 

──綿密に 見れば見る程 新事実。

新事実 積もり積もりて わが知識。(牧野富太郎

 

 

 

A先生から電話。いつもの先生らしく、電話の向こうで慎ましやかに微笑んでいるのが感じ取れる。

あからさまな正論やイデオロギーを振りかざす人はたくさんいるが、幸い、その類の人にはあまり縁がなかった。背中をそっと押してくれる方々に恵まれてきた。先生からは、物事を眺める際の長さと深さを教わった。少しでも深さを知ると、人は、静かにならざるを得ない。

 

なにごとにもときあり、天の下のできごとにはすべて定められたときがある。生まれるとき、死ぬとき、植えるとき、植えたものを抜くとき…。

 

旧約聖書「コヘレトの言葉」の一節に、こんな言葉があった。ちょっと苦しいとき悲しいとき、落ち込んだときにはノートにメモしたこの言葉を、静かに口に出して読んでみる。いまは、こんなときなんだと自分に言い聞かせる。