〇日
猛暑が続くが、夕刻はシャワーではなく、
きちんと肩までつかって入浴。
ぬるめのお湯に身体を沈めながら、岡本太郎「原色の呪文」を再再読。
時折、本にお湯が飛び散ってしまう。
本棚の本がほとんどふやけているのは、
こんな読み方をしているから。
どの本も手垢にまみれ、端を折り、線だらけ。
読み込んで、ぼろぼろになれば、また、同じ本を買ってくる。
世のすべての中で最も怖ろしいの己れ自身である。
それ以外の何ものでもない。
あらゆる真実も愚劣も、己れにおいて結局が決定されるのだ。
対決する怖ろしさから、
とかく人々は己れ自身を避けてしまう。
そして、伝統! 自然!
あるいは社会性!(いかにも美しい言葉だ)と
あたかも己れを減却した場に美や真実があるかのように叫ぶのだ。
何たる偽善、欺瞞!
(中略)
盲目的に破壊すること。──反美学。
自己は鋭い刃先によって雲散霧消、飛び散る。
あとには?──多分、何も残らない。
だがそこにのみ私のレアリテがあるのである。(岡本太郎「わがレアリテ」)
〇日
尊敬する彫刻家・佐藤忠良さんの写真集。
「隣人へのいたわりのないものは芸術ではない」
他者への、いたわりある言葉とは、まなざし、美しさとは。
そうした問いを、自らに向けることのできる人が、美しい。
〇日
美術館。
気持ちが、精神が萎えたとき、ここに来る。
(前述の佐藤忠良は生涯、舟越の親友でもあった)
入り口正面に松本俊介の「序説」。海の底のような蒼の100号。
明るくはない。暗くもない。希望でも絶望でもない。
かすかな哀切と生の力がせめぎ合う、
得体の知れないエネルギー。
松本俊介「序説」1939(昭和14)年 油彩・板 112.1×161.9cm
反時計回りで、一枚一枚、竣介の作品を巡り、
その先に舟越保武。
迎えてくれるのは「ダミアン神父」のブロンズ像。
2メートルの大作である。
台にのっているので、一層大きく見える。
舟越さんの書く文章は
慎ましやかでありながら底知れぬ力を感じるが
彫刻は文章をはるかに凌ぐエネルギーを感じる。
作品名/ダミアン神父(だみあんしんぷ) 制作年/1975(昭和50)年 技法/材質 ブロンズ 寸法(cm) 199.0×65.0×61.0
舟越さんはこの作品を作る10年ほど前、病に冒された一枚のダミアン神父の写真に出会ったという。完成したダミアン神父の左眼は病に冒されながらも、右の眼ともども患者の心のなかに深く向けられている。両手の甲まで病で瘤ができているのがわかる(参照:岩手県立美術館HP)。
ベルギー人のダミアン神父(1840-1889)は
1873年、自ら志願し宣教師として
ハンセン病患者が収容されるハワイ・モロカイ島に赴く。
治療薬のない当時、この島に来ることはそのまま死を意味した。
神父はやがて同じ病者となり、この島で没する。
作品は大小の瘤で醜く腫れ上がった神父の顔や手足を描いたが、
全身から崇高な気品が放たれている。
激烈ともいってもいいほどの迫力に圧倒され、
いつも、数分間、身動きできなくなる。
ほかの人がいなければ、何時間でもその前に(震えながら)
佇んでいたくなる。
自分のなかにある弱さもずるさも醜さも、
全て見通され
それでもなお、あらゆる存在を肯定しようとするやさしさ。
滞在時間はいつも20分程度。
この日も、他は観ずに、館を出る。
像の周りをぐるりと回る。角度によって、美しさでけではなく、人の中にあるずるさも計算も嫉妬心も人を恨む気持ちも、はらんでいることに気づく。舟越さんは1916年郷里盛岡で松本竣介と二人展を開催。交友は、23年の竣介の死まで続いた。