言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

子どもの中の「悪」。

子どもはいつも揺れています、大人たちの揺れをそのまま受け止めるかのように。そんな子どもたちに「悪」が芽生えたとき、真っ先に見つめなくてはならないのは、私たち大人の内面かもしれません。
 

 

悪意のない盗み

ガムを盗んだことがあります。

小学校2年生の冬休み。

雨の日でした。

 

家の向かいに小さな雑貨屋さんがあって、

前の日に挨拶を交わした店のおばさんの

「明日の朝、新発売のガムを並べるからね」

の一言が頭から離れなかったのです。

 

朝。

店のシャッターが開く音を確認し、

父の黒いブカブカの長靴を履き、店をめざしました。

お金のことなど頭になく

大好きなマンガの主人公が包装紙となったガムを

誰より早く見たかったのです。

 

母は狭い和室で洋裁の内職に励んでいました。

外に出ると

大きな長靴に雨水が入り込み、

母が編んでくれた緑の靴下を濡らしました。

 

店先の棚に、

ガムは20個が一つの箱に入れられ並んでいました。

照明が消されたままの店の奥に向かい

「おばさん」

と叫んでみましたが、返事はありません。

 

箱からガムを一つ取り出し、手にとりました。

ミントの香りが鼻腔を突いて

都会の匂いがしました。

 

次の瞬間、ガムを再び箱に戻すことなく

ズボンのポケットにしまい込み、家に戻ったのです。

心のなかで

何度も「大丈夫」と自分に言い聞かせました。

 

 

無言のやさしさ

それから数分もたたぬうち、

店のおばさんが家にやってきました。

 

玄関先に立ったまま、

おばさんは家の中に向かって

「ガム持ってったでしょう?」

といいました。

 

すぐに母が玄関先に飛んでいき

「おまえ、盗ったのか」

と私に一言いった途端、

頭をゲンコツで一発叩きました。

 

母は平謝りをして代金を払い、

おばさんはそれを受け取り「いいんだ、いいんだ」

といいながら帰っていきました。

 

盗みのことは、その夜に母から父へと知らされました。

父は「そうか」と言ったきり、

咎めることはしませんでした。

 

時折、深酒をして荒れる父でしたが、

その夜、

黙り込んだ父は一層怖かったのを覚えています。

 

泊まりの勤務明けだった父は、

夕食を終えて早々に床に入り、私も父の隣に敷かれた

自分の布団へともぐり込みました。

 

ふと父が「こっちに来い」

と声をかけてくれました。

「今日は父さんの布団で寝なさい」。

私はおそるおそる布団から這い出し、

父の布団に入っていきました。

 

冷え切った小さな足が父のすね毛にふれました。

父の体温が身体をあたため、

心臓の音がドクドクと聞こえてきました。

 

その夜、妹は母の布団で寝ることになりました。

天井の闇にストーブの残り火が

オレンジ色の点になって映り込み、

いつまでもチロチロと揺れていました。

 

50代で亡くなった父でしたが、

年を重ねるに連れて

あの日私は、

ガムを盗みたかったのではなく、

酒に溺れてばかりいた父の気持ちを

自分に向けたかったのではないか

という思いが強くなっている気がします。