言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

imago。

〇日

墓園。

この街で、いちばん好きな場所。

いまは亡き人たちと

過ごす時間は、

日常のそれとは少し異なる。

止まっているようで、

何かがかすかに動く気配があって

不幸でも幸福でもなく

哀しいわけでも、うれしいのでもない。

水のような

清冽な宇宙の営みだけが

そこに在るような世界。

でも、やっぱり、少しさびしい。

 

 

周囲の墓碑を見て回る。

「山に帰る」「希」「夢」「願」など、

メッセージが書かれたものも少なくない。

故人に託した願いなのか。

この人は、どんな顔をした人で、

どのような人生を

送ってきたのだろうかと想像してしまう。

こんな言葉を託したご遺族のことも。

 

想像=imagineは、

像=imagoの派生語でもある。

 

漢字に語源があるように

どんな国の言語にも

語源や派生語があり、

言葉の枝葉を

たどっていくだけで面白い。

 

像を想うことで「想像」となるが

imagoは、精神分析や心理学の世界では

幼児期に父母の像を基に形成され、

他者関係に影響を及ぼす

無意識的人物原型――

といった意味もあるという。

像は像を成しているだけではなく、

目に見えぬものや無意識、

概念までも含んでいるらしい。

 

自分が墓に入ったら

何を想うだろう。

「ありがとう」と「ごめん」が

6:4くらいか。

2:8、いや、1:9────。

 

毎日を、この一瞬一瞬を、

ちゃんと生きよう。

なんていわれても、

そういわれてもねえ、と言い返せるほどの、

オトナにはなった。

 

 

〇日

0500起床、0715出発。

A市、0900着。

出るときは雨でへこんでいたが、

現地に着くと嘘のように晴れる。

 

そそくさと仕事を終え

昼食もとらずに事務所に戻る。

すぐにデスクに向かうが

なんだかヘナッとなっている。

 

パソコンに向かって呆けていたら、

ピンポーン。

時折、ふらっと寄ってくださる

大手設備会社のBさん。

発表されたばかりの調湿機器など、

最新の情報を聴く。

 

Bさんが帰ったあと、C子さんから電話。

母親を介護しながら、会社でも活躍し続ける。

すごいなあ。

Dさんからメール。

最近読んだ本から書き留めたという

膨大なテキストを送ってくださった。

なかにあった

小川洋子さんの「アンネの日記

=孤独が人を成長させる=の資料から。

 

一旦閉じこもることによって、

外の世界と適度な距離を取り、

自分と一対一で

向き合うことによって、

孤独を手に入れる。

その孤独が

人を成長させるのだと思います。

サナギになって

一旦死んだように静かになったあと、

昆虫が劇的な変化を見せて

成虫になるのと同じです。

 

ヘナっとなったこんなときにも

傍らにいてくれる人がいる。

贅沢な話だ。

 

たくさん孤独を

味わってきたつもりだが

脱皮などしてきたのだろうか。