言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

どちらもぜいたくね。

クラシックギターに手にしたのは、フォークギターを購入した2年後のこと。大学でラテン音楽サークルに所属していた私は、先輩の紹介で、3人のミュージシャンを知った。チャーリー・バードホセ・フェリシアーノ長谷川きよし

 

電気を通さず、生ギターで奏でる音楽は三者三様だが、3人の音楽を知ってからは、生涯、フォークギターは手にしないと誓い、バイトで稼いだ2カ月分の生活費にもなる大金でMATSUOKAのギターを購入した。このギターはいまも、当時と少しも変わらぬ音色を奏でてくれる。

 

チャーリー・バードはジャズギタリストだが、アメリカで最初にボサノバを紹介したギタリストであることは、あまり知られていない。Bossa Novaの"Nova"とはポルトガル語で「新しい」、"Bossa"とは「隆起、こぶ」。したがって"Bossa Nova"とは「新しい傾向」「新しい感覚」という意味になる。ボサノバというと、アントニオ・カルロス・ジョビンが有名だが、チャーリー・バードのギターには、土臭さ、汗臭さがなく、旋律はどこまでも洗練されている。ニューヨークの学校で作曲法やジャズ理論をきっちりと学んだプライドゆえのことかもしれない。

 

 

ホセ・フェリシアーノは、大学近くのジャズ喫茶で初めて聴いた。ライブ盤で、脳裏を突き刺すようなギターと歌のエネルギーに圧倒された。ジャケットを見せてもらうと、生意気そうな顔に見えた。歩ゆんできた闇の時間を光に換える音と声の凄みを感じた。

 

 

長谷川きよしのライブは2回聴きにいった。最初のライブは横浜だった。パーカッションは斉藤ノブ。ステージのまん前に席をとったが、2人が弾き出す音とリズムは、孤独と自立を知り尽くした大人の鋭さを放っていた。

 

 

自分のギターは、年に一度か二度、弦を張り替えるだけ。もともとヘタクソなのに弾かない、弾かないから上達しない、上達しないから弾かないの悪循環だ。オーガスティンの青は昔のままで、音叉で調律をし弦を弾くが、もう指が動かない。FやBmのコードで左の指や肘に傷みが走り、B♭は音が曇ってしまう。アルペジオもままならず、ポロンポロンと音を出すので精一杯。

 

長谷川きよしの曲を弾いてみる。「歩きつづけて」「卒業」。大好きな曲である。名曲「別れのサンバ」は腱鞘炎になりそうなので、途中であきらめる。しょせん、ギターの天才たちの真似など無理。

 

中島みゆきに「幸せ」という曲があった。手元に楽譜があったので、ぽろんと弾いて、ぼそっと歌ってみる。

 

───幸せになる道には2つある

1つめは願い事うまく叶うこと

幸せになる道には2つある

もう1つは願いなんか捨ててしまうこと

せんないね せんないね  どちらもぜいたくね

せんないね せんないね  これからどうしよう

幸せになりたいね

 

ギターは弾けなくなったけど、最高のギターも歌も、いつだって聴くことのできる幸せ。いま、生きている、この時間。どちらも、贅沢ね。そう自分に言い聞かせる夜が多くなった。