言葉と記憶の小径。

D's Diary./The long and winding path of my own choice.

【deadline】=捨てる仕事

長くて1時間。早いときには15分。平均にすると40分。
平均的な取材時間。

編集者として取材に行くときはまた別だけれど
書き手としての取材では、
基本的にデザイナー(ディレクター)、カメラマンも同行してほしくない。
一刻も早く取材を終え、
帰ってすぐに原稿を書くという癖が、抜けないからだ。


目の前の情報をいかに「捨てるか」。
40分で拾う情報量でも
すでに「捨てる」に十分であることがほとんど。
その見極めには、できれば一人がいい。

それでも、相手の都合で、カメラマンやデザイナーと一緒に取材に出向く場合もある。
そんなときにはいつも「20分だけ時間がほしい。この間、絶対に口を出さないで」
とお願いをしておく。
この20分で、相手をどう切り取るかだけに集中する。
あとは、デザイナーやカメラマンが自分の好きにすればよろしい。

賢いデザイナーやカメラマンは、取材をじっと聞いている。
聞きながら、写真の構図やデザインを考えているのである。
「終わるまで、外で待ってますから」と席を外し、
戻ってきたところで「さて、何を撮ればいいでしょう」と聞いてくるアホもいる。


自分に締め切りを課すことは、諦めること。
思い切る、あるいは自分の腹のくくり方に責任をとる、と換言してもいい。


40分の取材であろうが、400分の取材であろうが
しょせんは、同じやっつけ仕事。
仮に400日の取材でも、対象を描き切ることなど、絶対にできはしない。
大切なのは、限られた時間のなかで、
どれだけ「拾うか」ではなく、どれだけ「捨てるか」、諦めるか。

文字数の限られたところでの勝負。
それ以上知ることを、「捨てる」。

 

捨てて捨てて、残ったところに、核のようなものが浮き彫りになる。
だからこそ、選択される情報は、とびきり上質でなければならない。


上質の情報は、捨てきったところで書かれても
核の部分が、光を放つ。
仮に、書き手が事実の部分だけしか拾うことができなくても、
その事実の部分ですでに書き手の技を超えてもいる。


締め切りのことを英語では【deadline】という。
「死線」である。
この「死線」を意識するところで、人間は、ちょっとは真剣になることができる。
真剣になりすぎると、疲れてしまう。
だから、自分の取材時間は短い、ということを、言い訳したかっただけ。